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Nov

ジャンプ主人公大特集! 時代と共に変わりゆく主人公像を徹底解説


(画像引用 : Amazon)

週刊少年ジャンプのポリシーと言えば、スローガンとして掲げられている「友情・努力・勝利」が有名ですが、近年は「大きく掲げているわけではない」と発言する編集者も増えているようで、少なくとも絶対的な約束事という訳ではないようです。
しかし1960年代、70年代におけるジャンプの主人公は、この三要素のいずれかを強調したような人物像で描かれている事が大半でした。

例えばジャンプを人気雑誌に押し上げた黎明期の名作『男一匹ガキ大将』の主人公・戸川万吉は、最初は弱くて負けてばかりの子供でしたが男気と努力で強くなり、そこから一気に快進撃が始まります。
強敵との戦い、勝利によって芽生える友情、そして更なる巨大な敵への挑戦……そういった「昇っていく感覚」を読者に与えるのが、高度経済成長に沸くこの時代の主人公の使命でした。
その為、連載当初は極端に弱かったり周囲から白眼視されていたりする主人公が多く見受けられます。

この象徴とも言える主人公がキン肉マンことキン肉スグルです。

『キン肉マン』は現在も続いている作品とあって、その主人公であるキン肉マンは若い世代にもその名を知られています。
ただ、その世代が知るキン肉マンと連載当初のキン肉マンとでは、イメージにかなり大きな差があるようです。
「完璧超人始祖編」以降のキン肉マンしか知らない世代にとっては「正義超人だけでなく悪魔超人や完璧超人、更には完璧超人始祖や神々にまで一目置かれる存在」という認識だと思われますが、物語当初の彼は真逆の人物でした。

当時のキン肉マンは絶望的なまでに人々からの人気がなく、それなりに強くはあるものの「日本のツラよごし」とさえ言われるほど落ちこぼれのヒーロー。
読者目線で見ても決してカッコ良いとは言えず、下品で泣き虫な超人でした。

それでもキン肉マンは人々を襲う怪獣から地球を守り続け、少しずつですが理解者を得ていきます。
彼の世俗的でありながらいじらしいまでの正義を貫く姿勢に絆された仲間も増え、超人オリンピック二連覇によって名声も獲得。
その後は正義超人の中心人物として、仲間たちと共に悪魔超人、悪魔六騎士、完璧超人といった強敵たちと戦い、勝利を掴んでいきました。

『キン肉マン』は友情を最も大きく扱った作品で、その象徴であるキン肉マンは対戦相手すらも常に慮っています。
そんな彼の友情パワーによって、悪の心を持った超人が改心していくというのが本作のストーリーの中核を担っており、それは初期から現在に至るまで変わっていません。

一方で、努力の見せ方は他作品とは異なる特徴を持っています。

一般的に少年漫画で描かれる努力というと「修行して強くなる」という描写で、本作でもある程度は描かれています。
プリンス・カメハメから48の殺人技を伝授される展開や、王位争奪編の決勝前の修行シーンが特に顕著です。
しかしそれらの描写に話数を使う事はなく、殊更強調するような作品ではない為、キン肉マンが修行に明け暮れ強くなったイメージを持っているファンは決して多くないでしょう。

ではキン肉マンは何を努力したのかというと、人間や超人との関わりについてです。
どれだけ相手から拒絶されようと手を差し伸べ、やがて心を通わせる。
完璧超人始祖編では「対話」という言葉で表現していましたが、キン肉マンはまさに対話する事に努力を注いだ主人公と言えます。

同じく1970年代にスタートした『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の主人公である両津勘吉も一見すると努力とは程遠い人物ですが、実は意外と努力の人。
ただしその努力は常に儲け話や自分の趣味に費やされ、そこを面白おかしく描くというのが本作の基本構造になっています。

創刊から10年くらいの時点で、ジャンプの主人公は「友情・努力・勝利」を王道とは違う形で見せる人物として描かれる事が増え、それが作品とキャラクターの個性にも繋がっていきました。

最初から強い主人公へ


(画像引用 : Amazon)

安定成長からバブル期突入で好景気の真っ直中にあった1980年代、ジャンプもその勢いに乗るかのように発行部数を増やし続け、当時の男子は誰もがジャンプで育ったと言っても過言ではないくらい、ジャンプは子供の生活に欠かせない雑誌となりました。
当然、その漫画の主人公たちも憧れの的となり、多くの子供たちにとってヒーローと呼べるような存在でした。
そんな80年代ジャンプの主人公に見られる特徴は「強さ」です。

前述したように、70年代までのジャンプ主人公は最初は弱く、努力や勝利によって強くなっていき仲間を得ていくのが王道でした。
しかし80年代に入ると物語冒頭から強い主人公が多くなっていきます。

『北斗の拳』のケンシロウは作中で敗北する事はあるものの、その多くは相手が猛者とあって格が落ちる事はなく、作品全体を通して強キャラである事が強調された主人公です。
『魁!!男塾』の剣桃太郎『キャプテン翼』の大空翼も最初から作中トップクラスの才能と実力を備え、敗北自体がほぼ皆無
この時期のジャンプ主人公は、子供たちの共感よりも憧れが優先され、とにかく強くてカッコ良い主人公像が求められていた為、スローガンの「友情・努力・勝利」も強さ・カッコ良さを表現する為のエッセンスとして描かれる事が多くなりました。

その中でも特に象徴的だったのが『ドラゴンボール』の孫悟空『シティーハンター』の冴羽リョウの2人です。

悟空は子供の頃から一貫して「強くなりたい」が信条。
天下一武道会の決勝で二度敗れるなど、必ずしも勝利を義務付けられた主人公ではありませんが、例え負けても悔しさより強敵と戦えた事の喜びの方が上回るタイプで、見ていて気持ちの良い主人公です。
その後大人になり、子供が生まれても尚最前線で戦い続けるその姿は、多くのファンにとって永遠の憧れとなっています。

一方、リョウはそれまでのジャンプにはいない大人の主人公
年齢的にも当時の読者層よりかなり上ですが、それ以上に精神的な熟成が顕著で、普段はおちゃらけて下品な言動が目立つものの、いざという時には圧倒的な実力とクレバーさで依頼人を華麗に守り抜きます。
いわゆる昼行灯タイプで、極端な緩急によるギャップが生み出すカッコ良さは他のジャンプ作品の主人公にはなく、大人の男に憧れる読者の心を鷲掴みにしました。

また、1986年からは『ジョジョの奇妙な冒険』がスタートしました。

第1部の主人公であるジョナサン・ジョースターは英国紳士を志す好青年で、正義感が強くかなり真面目な性格。
ラグビー部に所属していた事もあって身体はかなり鍛えられており、屈強な筋肉を身に付けた姿はまさに強者そのものでした。
ケンシロウもそうですが、強靱な肉体を持つ主人公が多いのはこの時期の特徴でもあります。

キャラクターデザインを語る際に「シルエットでもわかるキャラが理想」とよく言われますが、それが顕著になったのもこの頃からです。
特に主人公に関しては、髪型や身体のフォルムだけで判別可能なキャラが増え、より主人公の存在感が増していた時代と言えるでしょう。

主人公多様化の時代へ突入


(画像引用 : Amazon)

1980年代に大きく部数を伸ばしたジャンプは、90年代に入ってもその勢いが衰える事はなく、寧ろ更なる上昇を見せます。
そして1995年3・4合併号は、今尚語り継がれる史上最大の発行部数653万部を記録。
恐らく未来永劫破られる事のないアンタッチャブルな数字を打ち立てた背景には、単にヒット作が増えたというだけではなく、作品の多様化によるファン層の拡大が挙げられます。

特に目立つようになったのが、女性読者の増加です。
少年誌という事で当然男性の比率が圧倒的に高かったジャンプですが、『キャプテン翼』『聖闘士星矢』といったイケメンキャラが多く出る作品が増えるに従って女性の読者も増えていきました。

そして、その流れを決定的にしたのが『スラムダンク』『幽遊白書』です。
『ドラゴンボール』と並び、ジャンプ黄金期の三本柱として絶大な人気を誇った両作品ですが、どちらも敵味方問わず様々なタイプのイケメンキャラが登場する事も共通しています。
この二作品のメガヒットによって、ジャンプの読者層が一気に拡大したのは間違いないでしょう。

また、その流れは主人公像にも影響を及ぼしました。

これまでジャンプの主人公と言えば物語の中心であるのと同時に、作中において味方陣営の最強格である事が殆どでした。
当初は弱くても物語の序盤~中盤にはそのポジションまで上り詰めるのが定石。
そうしなければ主人公としての格が保てず、インフレについていけないと物語の中心人物にもなり得なかったからです。

しかし『スラムダンク』の主人公である桜木花道は、最終戦となった山王戦でも最高峰の実力を持っていた訳ではありません。
「リバウンドが上手い」「身体能力が高い」「スタミナが凄い」といった局地的な能力は高く、その潜在能力を多くの実力者に認められていはいるものの、純粋にプレイヤーとしての総合力はレギュラー陣の中で最低クラスのまま。
これは、当時のジャンプ主人公としては異例と言えます。

にもかかわらず、花道は公式で行われた人気投票でいずれも1位を獲得。
他にも様々な人気キャラがいる本作にあって、最後まで主人公としての格を保ち続けました。

その最大の理由は、尊大で自信家な一方で努力家かつ一途な花道のキャラが多くのファンに受け入れられた事にあります。
そしてもう一つの大きな理由としては、花道が『スラムダンク』という作品のテーマを担っていたからに他なりません。

この作品が爆発的ヒットを記録した背景には、これまでのスポーツ漫画にはなかったリアルさがあったからです。

魔球や必殺シュートのような漫画ならではの超人的な技で敵チームと戦うのではなく、現実のバスケの試合を完全再現したかのように描かれ(実際には高校レベルの範疇を超えたプレーも多々ありますが)、リアルさ故の本格感や臨場感が生まれました。
もしバスケを始めてたった数ヶ月の花道がトッププレーヤーになってしまったら、そのリアルさは失われてしまった事でしょう。
彼が超人的な身体能力を持ちつつも、基礎練習を繰り返し少しずつシュートが入るようになる様を丁寧に描いたからこそ『スラムダンク』という作品のイメージは「リアルバスケ漫画」として定着し、その後何十年も語り継がれる人気作となったのです。

『幽遊白書』の主人公、浦飯幽助も当時の主人公としては異例のキャラでした。
彼は当初人間として描かれていましたが、のちに魔族の子孫と判明します。
その後は人間らしさがやや失われ、より魔族に近い考え方が顕在化するようになり、一般的な人間の価値観とは異なる人物像で描かれました。

勿論、人間以外の主人公は他にも沢山いますが、ジャンプ作品の主人公が人の道から逸れた考えを抱くという展開は当時としては異例(ジャンプ以外なら『デビルマン』など前例あり)。
こういった実例からも、ジャンプの主人公像がより多様化した事がわかります。

暗い過去や複雑な事情を持つ主人公


(画像引用 : Amazon)

1990年代中盤、エンタメ業界は闇の時代へと突入します。
それはエンタメが衰退したという意味ではなく、文字通り「闇」がトレンドになったという意味です。

アニメ、漫画、ゲームといったエンタメに触れる人々の年齢層が上がっていくにつれ、子供にもわかる単純な設定やストーリーよりも深読みや考察が捗るような複雑な物語が受けるようになってきた時代、その象徴が『新世紀エヴァンゲリオン』『ファイナルファンタジーVII』でした。
これらの作品がヒットした事で、当時のオタクと呼ばれる人達はより複雑なものを求めるようになり、それは主人公像にも影響を及ぼしていきます。
その結果、暗い過去や複雑な事情を持つ主人公がジャンプにも増えていきました。

象徴的な主人公が『るろうに剣心』緋村剣心です。
彼はかつて長州派維新志士として活動し、伝説の人斬り「緋村抜刀斎」としてその名を全国に轟かせた人物。
しかし、とある出来事から人を殺める事に強い抵抗と罪悪感を抱くようになり、「不殺」を誓って流浪人として旅をしていました。

その剣心が憂いを抱えながら悪人を懲らしめる姿に多くの読者が魅力を感じ、本作は大ヒットを記録。
連載終了後も実写映画が大ヒットし、2023年にはリメイクアニメも作られるほど息の長い作品になりました。

また、『遊☆戯☆王』武藤遊戯も訳ありタイプの主人公です。
闇のアイテム「千年パズル」を解いた事で別人格の「闇遊戯」が生まれ、気弱な遊戯と強気な闇遊戯が入れ変わりながら一人の主人公を表現していく本作も爆発的な人気を博しました。

そして、特にこの傾向が顕著だったのは『封神演義』の主人公、太公望です。

藤崎竜先生が手掛けた『封神演義』は、西遊記・三国志演義・水滸伝と同じ中国の古典文学で、漫画版は安能務先生による日本語リライト小説『封神演義』を原作としています。
つまりリメイクのリメイク。
よって、その主人公である太公望も原作や日本語小説版とは異なる人物像になっています。

漫画版において最も特徴的な設定は、王天君(王奕)との関係です。
太公望と王天君は元々一つの魂魄でしたが、原始天尊によって二つに割られ太公望(善)と王天君(悪)に分かれました。
終盤には二人が融合し、本来の姿である伏羲となりました。

このような設定は小説版には一切なく、漫画版のオリジナル。
まさに主人公の複雑化を体現した存在と言えます。

主人公が暗い過去や一筋縄ではいかない設定を持つ事によるメリットは、物語に深みが生まれ、テーマが顕在化しやすくなる点にあります。
『るろうに剣心』はまさにその実例で、剣心の贖罪が作品を通してのテーマになっており、主人公の設定そのものが作品を象徴しているとさえ言えます。

これらの傾向は作品に読み応えをもたらし、ジャンプ読者の年齢層が上がり始めた当時の風潮にマッチしていました。
しかし同時に、子供にはやや難解な作品が増えた事で、キッズ層がジャンプを離れる一因にもなったと思われます。

前向き&負ける主人公が増加


(画像引用 : Amazon)

インターネットの普及が始まり、ノストラダムスの大予言に世界中が踊らされた1990年代後半。
大人向けに複雑化しつつあった主人公像を再び子供に愛される主人公像へとシフトする動きがジャンプでは見られました。
その象徴が『ONE PIECE』のモンキー・D・ルフィ『HUNTER×HUNTER』のゴン=フリークスです。

「”海賊王”に!!! おれはなるっ!!!!」という台詞があまりに有名なルフィは、その宣言通り海賊王を目指すという極めてシンプルな夢を持っている主人公です。
性格も明るく奔放で仲間思いという昔ながらの主人公像そのもの、能力もゴムゴムの実によってゴム化した身体を駆使して殴る蹴るという明快なもの。
「ルフィってどんな奴?」という質問に答えられない子供は殆どいないくらい、単純明快な主人公像です。

しかしそんなルフィも、出自が謎に包まれているなど幾つかの考察要素を備えています。
ただしそれも暗さや複雑さとは一線を画したもので、ルフィというキャラクターを難しくするようなものではありません。
また、物語が進むにつれ彼も成長していきますが、その成長もルフィの人格や主人公像を変質させる訳ではなく、あくまで成熟の範疇です。

ゴンはルフィほど明快な性格ではなく、少年らしい単純明快さと、12歳という年齢にしては大人びた部分の両方を兼ね備えています。
ただ、いずれも純粋さを源泉とした性格であり、父親のジン=フリークスを探すという目的も明確。
二面性という訳ではなく、純粋さの現れ方の違いによってまるで別人に見える事がある、と言った方が正しいでしょう。

ルフィとゴンの最大の共通点は、前向きである事です。
両者とも単に明るい性格というだけでなく、物事をまっすぐ前に動かす力に長けた主人公として描かれています。
そこが一切ブレない為、仲間からの信頼も絶大です。

そして彼ら同様、まっすぐに突き進むタイプの主人公が『NARUTO -ナルト-』のうずまきナルトです。
「まっすぐ自分の言葉は曲げない」を信条とするように、絶望的な状況に追い込まれても絶対に諦めない姿勢を見せ続け、ついには闇堕ちしたサスケの心を溶かすまでに至りました。

この三人には「意外と負けている」という特徴もあります
ルフィはクロコダイル戦やカイドウ戦の連敗をはじめ、敗北シーンはかなり多く描かれています。
ゴンやナルトも重要な戦いで敗れており、80年代後半~90年代中盤までのジャンプ主人公ほど「強さ」を強調して描かれている訳ではありません。

更にその象徴となったのが、『BLEACH』の黒崎一護です。
彼も敗北が多い主人公で、ラスボスであるユーハバッハに複数回負けるのは仕方ないとしても、アスキン・ナックルヴァールに物のついでのように倒されてしまった(一護でさえ――――!!の煽りで有名な)シーンはあまりに印象的でした。

主人公が負ける機会が増えた背景には、連載期間の長期化も原因として挙げられます。
『ONE PIECE』の26年を筆頭に、『NARUTO』と『BLEACH』は15年続いた長寿作品で、ここまで長く続く作品は当時『こち亀』くらいしかありませんでした。
連載期間が長ければ必然的に主人公のバトルシーンも増え、強敵と戦う機会も多くなる為、それに比例して敗北が増えるのは当然と言えるのかもしれません。

一方で、80年代~90年代中盤のように主人公が圧倒的な強さを見せつける必要がなくなった結果とも言えます。
突出する事よりも協調性が重要視され、憧れよりも共感が求められる時代になった事もあって、読者にとって親しみやすい「仲間と共に強くなっていく」「時には負ける事もある」という主人公が求められるようになったと推察されます。

善や正義に囚われない主人公たち


(画像引用 : Amazon)

娯楽の中心がテレビからネットへと移り行く中、与えられた価値観を共有する時代は終わり、自分の好む考え方や情報を自発的に取得していく時代へと突入していった2000年代。
ジャンプの連載陣も、いわゆる王道から逸れる作品が増えるようになりました。
その代表例が『DEATH NOTE』です。

少年誌であるジャンプの主人公は、善なる心を持っているのが絶対条件でした。
しかしこの作品の主人公・夜神月は、名前を書くだけで誰でも殺せるデスノートを手に入れた事で、自らの抱く正義を実現させる為に多くの人々の命を躊躇なく奪う殺人鬼に変貌してしまいました。
主人公が悪に染まっていく様を描いたこの作品は、ジャンプにおいて極めて異端と言えます。

にもかかわらず『DEATH NOTE』は大ヒットを記録し、月に対しても批判意見ばかりではなく共感に近い意見が少なからず見受けられました。
一般論における善や正義に対してあまり真実味を持つ事が出来ず、綺麗事や偽善に過ぎないと捉える人も相応にいるのは自然な事で、そういった考えを切り捨てず一つの主人公像として確立させた事で、ジャンプは更に幅広い層から支持される雑誌になりました。

実際、『DEATH NOTE』の成功によってジャンプの主人公はより多様化していきます。
『トリコ』のトリコは外見からも強さが見て取れる80年代のような主人公、『銀魂』の坂田銀時は90年代に多かった昼行灯タイプ、『魔人探偵脳噛ネウロ』の脳噛ネウロは傲岸で外道な魔界の突然変異生物……と、一つの傾向に囚われず多様な主人公が次々と登場。
雑誌全体のカラーを統一せず、いろんなタイプの作品、いろんなタイプの主人公の中から読者が自分の好みで選べるような形になっていきました。

また、『トリコ』『ネウロ』或いは『家庭教師ヒットマンREBORN!』『ムヒョとロージーの魔法律相談事務所』のように、規格外の存在と一般人に近い人物のW主人公を採用する作品が数多く見られるのも、2000年代の大きな特徴です。
主人公を複数配置するメリットは一つの視点に縛られず、「強者」と「弱者」、「超越者」と「一般人」のような全く異なる視点で作品を組み立てられる事にあります。
結果、作品の語り手をより読者目線で描けるようになり、強い主人公を前面に出しつつも共感できる作品にする事で読者を引き込む事に成功したと言えるでしょう。

主人公らしくない主人公


(画像引用 : Amazon)

2000年代後半に入ると主人公の多様化は更に進み、主人公らしくない主人公も登場するようになります。
その顕著な例が『黒子のバスケ』の黒子テツヤです。

超人的な能力を持つキセキの世代の活躍を描いた本作ですが、その主人公である彼は影の薄さが売り。
身体能力は極端に低く体格にも恵まれていませんが、極限まで存在感をなくす異能を駆使して黒子に徹し、周りを最大限に活かすという完全サポートタイプのプレイヤーです。
ジャンプにおいてこのようなタイプが主人公で描かれる事は少なく、あってもW主人公の1人というケースが多かった為、かなり異質な存在と言えます。

目立つ事を避けるという点においては『斉木楠雄のΨ難』の主人公、斉木楠雄も同じです。
彼は超能力者でありながら、幼少期に目立ち過ぎて大変な目に遭った為、超能力を駆使して出来るだけ目立たないように生きるという選択をしています。

主人公は物語の中心人物なので、目立つのは必然。
そういうポジションだからこそ、「目立たないように振る舞う主人公」は従来の主人公像に対するカウンター、或いはアンチテーゼとなり、強い個性を発揮します。
新たな切り口として新鮮さを提供できた事が、作品のヒットにも繋がったのでしょう。

一方で、彼らのような主人公が読者に支持されたのは、00年代に入ってからの「主人公の希薄化」の流れが関連していると思われます。
前述したように、主人公に強さや憧れを求める時代は終わり、協調性や共感が強調されるようになりましたが、それによって主人公が物語の中で突出した存在になる事にこだわる必要もなくなりました。
主人公は物語の中心人物なので目立って当然、目立たせなければならないという決め付けが時代遅れになっていったのです。

その象徴が『ワールドトリガー』です。
この作品は主人公とされるキャラが4人もいます。
『ジョジョ』のように物語を一度完結した上で主人公を交代するのではなく、一つの物語にこれだけの数の主人公を配置するのは異例でしたが、本作も多くの読者に受け入れられました。

主人公の定義の消滅


(画像引用 : Amazon)

時代の変遷によってジャンプの主人公像も大きく様変わりしてきましたが、2010年代以降いよいよその流れは行き着く所まで行き着いたと言えるかも知れません。
「こういう人物像こそが主人公だ!」といった定義はもはや意味をなくし、主人公らしい主人公もいれば、主人公(笑)と揶揄されるくらい出番の少ない主人公もいます。

2010年代を代表する大ヒット作となった『鬼滅の刃』の竈門炭治郎も、そんな主人公混沌の時代に生まれたキャラの1人です。
家族を殺された暗い過去を持ち、その復讐の為に努力して強くなる一方で優しさは決して見失わず、しかし作中最強と言えるほどに強くはなれない。
本来なら主役の器ではない彼が、それでも最初から最後まで紛れもなく『鬼滅の刃』の主人公として突っ切った事で、多くの読者にとって愛すべきキャラになったのだと思われます。

『呪術廻戦』の主人公、虎杖悠仁も途中まではこのタイプでした。
強くはないものの、それでも祖父の遺言を守る為に自分の運命から逃げず立ち向かっていく姿は、例えバトル面での見せ場が少なくとも主人公らしさを十分に備えていました。

しかし彼の場合、物語が進むほど主人公らしさが損なわれていき、物語の中心からも外れていきました。
それでも人気投票では常に上位にランクインしており、読者が主人公に対し矢面に立つ事さえも求めなくなったのを如実に現した証人となっています。

対照的に『チェンソーマン』の主人公、デンジは作風を象徴するキャラとして常に矢面に立ち続けていたキャラです。
彼の脳天気で欲望に忠実な生き様は物凄いエネルギーと勢いをもたらし、作品のイメージにも直結するほどでした。
彼が読者に愛されなければ、本作のヒットはなかったでしょう。

この3人に共通するのは「良い奴」という一点のみ
しかしそれは主人公特有の個性という訳ではありません。
今やジャンプ主人公という括りで傾向を探る事すら難しく、主人公の定義は消滅したと言って良いでしょう。

これは2020年代においても変わりません。
『SAKAMOTODAYS』の主人公、坂本太郎は安西先生のような見た目ですし、『アクタージュ』『あかね噺』『ルリドラゴン』のような女性主人公の作品も増えています。

週刊少年ジャンプは長い歴史の中で、「時代にフィットした主人公像を模索する」「主人公の固定観念を崩す」という二つの信念を同時に貫いているように感じられます。
だからこそ、50年もの間ずっと少年誌の王者として君臨できているのかもしれません。

まとめ

主人公がカッコ良くないと人気が出ない、なんて時代ではとっくになくなっていますけど、今でも主人公には相応の活躍を期待する声は後を絶ちません。
特にジャンプの場合はそれが顕著です。
今はちょっと目立てていないあの作品の主人公やあの作品の主人公も、これから活躍してくれる事を願っています!

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