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【葬送のフリーレン】アニメ1期総括! 残された伏線は? 原作との大きな違いとは?【ネタバレ】
(画像引用 : Amazon)
2023年秋~2024年冬に放送された『葬送のフリーレン』テレビアニメ1期を総まとめ!
アニメならではのこだわり、各キャラの変化や成長、人気を得た要素、原作との相違点などを徹底解剖。更に今後のアニメ化展開についても予想します!
成功を象徴する10秒のOP演出
(画像引用 : Amazon)
今やアニメファンの間で知らない人はいないと言っても過言ではないほどメジャーな存在となった『葬送のフリーレン』。
その記念すべきテレビアニメ1期は、金曜ロードショー枠にて2時間の特番で放送されるという前代未聞の試みとなりましたが、実はそれ以外にも近年では比較的珍しい事が行われていました。
アバンを一切用いず、いきなりオープニングから放送をスタートさせるという手法を用いたのです。
アバンとは「アバンタイトル」の略で、OPやタイトルコールが流れる前に挿入されるプロローグ的なシーンを指します。
その目的は、本編に入る前に作品の世界観を提示したり前口上で雰囲気を盛り上げ、物語により深く没頭して貰う事。
2話目以降はこれまでのあらすじや前話のラストシーンを描き、前回放送の記憶を呼び起こして貰う為に用いるケースが大半となります。
近年では第1話のエンディングでOP曲や映像を流すという、ある意味1話まるまるアバンとしている作品もかなり多く見られます。
プロローグ部分を長くする事で視聴者のワクワク感を煽り、華々しいOP映像でカタルシスを生むという構成が第1話の黄金パターンなのです。
大作や注目作ほど第1話に対する期待感は高く、当然その冒頭部分には多くの目が向けられます。
そこで視聴者の期待に応えられるかどうかでアニメの成否が決まる……というのは言い過ぎかもしれませんが、SNS等で実況しながらリアルタイム視聴を行う人が多い現在の環境において、第1話のアバンが担う役割は極めて重要です。
その為、原作改変が悪とされる現代においても第1話のアバンに関してはオリジナルの映像を用いたり原作の構成を変更し、引きの強い場面や伏線となるような謎めいたシーンを持って来るケースが目立ちます。
例えば『呪術廻戦』の冒頭は原作と異なり、主人公の虎杖悠仁が五条悟に死刑が決定したと告げられるシーンから始まりました。
『チェンソーマン』も主人公デンジの夢に出て来る謎の扉のシーンからスタートしており、こちらも原作とは違う始まり方をしています。
前者はインパクトのあるシーン、後者は謎めいたシーンで視聴者の関心を引き、物語に没入させる狙いがあったと思われます。
それに対し葬送のフリーレンはアバンを流さずOPからのスタートで、一瞬肩透かしを食らったと感じた人もいるかもしれません。
しかしこのOP映像こそが、視聴者の心を掴むアバンの役目を担っていました。
【推しの子】のOPテーマ曲「アイドル」が爆発的なヒットを記録し、第2のピークを迎えていたYOASOBIによる「勇者」が流れる中、本作のOPは美しくも淡々とした映像が流れていきます。
主人公のフリーレンをはじめとしたメインキャラの面々を描きつつ1期の範囲に出て来るシーンの1カットを次々と入れるなど、葬送のフリーレンの世界観を紹介するイメージ映像といった印象。
派手なアクションシーンはないOPで、手堅くもインパクトがあるようなタイプの映像ではありません。
しかしラスト10秒に思わず唸るような演出が待っていました。
画面左側に勇者ヒンメルのパーティー、右側にフェルンとシュタルクが映り、それぞれ左右にスクロールし各キャラがフレームアウトしていく中、左側の最後尾、右側の最前列にフリーレンがフレームインして最後に重なる……という内容。
この僅か10秒の演出に、葬送のフリーレンのあらすじと世界観が詰まっているのです。
本作は勇者ヒンメル、僧侶ハイター、戦士アイゼンと共に戦い魔王を倒したエルフの魔法使いフリーレンが、その後ヒンメルと死別した際に彼や人間について深く知ろうとしなかった事を強く悔い、ヒンメル達との旅の足跡を追いながらハイターの忘れ形見のフェルン、アイゼンの弟子のシュタルクと共に新たな旅をする物語。
勇者パーティーに最後に加入し年配者でありながら何処か末っ子のようなポジションだったフリーレンが、今度は先頭に立って次世代の面々を引っ張っている……という構図を、このたった10秒の演出で見事に表現しています。
また、かつて勇者パーティーが見ていた方向と同じ方をフェルン達も見ており、それは目的地(魂の眠る地)が同じである事を示唆しています。
本作はバトルシーンもありますが決して主題ではなく、あくまで叙情的で繊細な情動や他種族が交わる世界の混沌を描いた作品。
この短くもエモい演出は葬送のフリーレンという作品を表現する上で極めて適切であり、オープニングアニメーションの絵コンテ・演出を手掛けた斎藤圭一郎監督による発案だと思われます。
斎藤監督は『ぼっち・ざ・ろっく!』でも原作解像度の高さが評価されており、その手腕がこのOP演出においても見事に発揮された格好となりました。
たったの10秒ですが、それこそがアニメ『葬送のフリーレン』の成功を象徴する10秒だったのです。
「澄み切った青空」が訴える朴訥さと清廉さ
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アニメ版の『葬送のフリーレン』を語る上で、BGMと色彩は欠かす事の出来ない大きな特徴と言えるでしょう。
この二要素が作品のイメージ構築に大きく貢献しているのは、多くのアニメ視聴者が体験している筈です。
本作のBGMを担当しているのはエバン・コールさんです。
アメリカ出身の作曲者で、2018年に『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の音楽を担当しアニメファンの間で知名度を上げ、2022年には大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の音楽を手掛け話題になりました。
そのエバンさんが最初に手掛けたBGMはPV等で使用された「Journey of a Lifetime ~ Frieren Main Theme」です。
オーダーが出る前にエバンさん御自身が原作を読んだ印象を元に作られ、壮大で緩やかな始まりから一転して明るく力強い展開になり、再び穏やかになってまた力強さが戻るという緩急と抑揚が特徴的な曲になっています。
PVで流れたこの曲を聴いた人の多くは、アニメに対する期待感が高まった事でしょう。
このメインテーマをはじめ、エバンさんがフリーレン1期の為に手掛けた楽曲は実に72曲。
通常は映画音楽に用いられる、出来上がった映像に合わせて音楽を作る「フィルムスコアリング」で制作された曲がその内の半数を占めています。
メインテーマの時点でフリーレンの世界観を見事に表現されていますが、更にフィルムスコアリングによってアニメ版への解像度を高めた中で制作されたBGMが多く用いられているという事です。
葬送のフリーレンは雄大なファンタジー世界を泰然としたフリーレンの視点で描いた物語とあって、荘厳さと淡白さが融合した独特な世界観が構築されています。
なので、淡白さを強調するのであればBGMが流れるシーンを減らし、静寂によって厳かな雰囲気を作るという選択肢もあり得た筈です。
しかしアニメでは多彩なBGMをかなりの頻度で流し、華やかな雰囲気作りを優先していたように感じられました。
ただ、これだけだと原作ファンの多くは「華やか過ぎる」と違和感を抱いた事でしょう。
そこでバランスを取る上で重要な役割を担ったのが色彩です。
アニメは「色」が非常に大事で、どの色を用いて表現するかによって作品全体のイメージがガラッと変わります。
アニメの制作過程においては、まず色彩設計者がアニメ内で使用する全ての色を決め、作画において何に対してどの色をつけるかを指示する「色指定表」を作成します。
色に関するマニュアルやルールブックを作るようなイメージです。
その色指定表を参考に、アニメの各話・各シーンに対して「色指定」のスタッフ達がどのような色で彩色するのかを具体的に指定し、実際に彩色を行っていきます。
この手順を踏む事で作品全体の彩色傾向が統一され、全話全シーンにおいて違和感のない色使いが行われているのです。
アニメ『葬送のフリーレン』で最も色の印象が強いのは「青空」ではないでしょうか。
本作では非常に多くのシーンで空が映り、その多くが澄み切ったようなスカイブルーで表現されています。
色味としてはかなり強めの水色で、印象に残る色合いです。
その為、作品全体のイメージも晴れ晴れとした青空の情景が浮かんできます。
これは原作組には余りなかったイメージかもしれません。
アニメならではの印象付けと言えます。
この青空のイメージが何を生み出したかというと、朴訥さと清廉さです。
抜けるような青空が一面に広がる情景は、高層ビルが建ち並ぶ現代社会ではまず見る事ができず、誰もが田舎の景色をイメージするでしょう。
その朴訥さとBGMによる華やかさが重なる事で、どちらにも偏り過ぎない絶妙なバランスとなり、葬送のフリーレン独特の世界観をアニメならではの形で再現しているのです。
そして澄み切った青空は清廉で爽やかな印象を抱きます。
これはまさに「勇者ヒンメル」のイメージそのものです。
葬送のフリーレンを観た人であれば誰もが、本作の世界が決して清廉潔白でないと知っているでしょう。
魔王討伐後もその残党が暗躍しており、人間であっても血生臭いキャラが少なからず登場します。
そんな殺伐とした世界であっても、ヒンメルが残した勇者らしい言葉や行動が回想シーンとなって度々差し込まれ、それに多くの人々が影響を受けている所に本作の希望が詰まっています。
青空のシーンが色濃く描かれているのは、そんな希望に満ちた一面を情景描写に落とし込んでいるからだと思われます。
バトルシーンから繙く「魔法」の見せ方のこだわり
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アニメ『葬送のフリーレン』は、基本的には原作を忠実に再現するタイプの映像作品です。
少なくとも1期の段階ではオリジナルのキャラやエピソードを挿入する場面は殆どなく、本筋とは関係ない短いシーンの追加や演出の強化が主な追加要素となっています。
その中でも特に原作と大きく異なるのはバトルシーンです。
葬送のフリーレンの原作における戦闘描写は、他のファンタジー作品と比べるとかなり淡白です。
アニメから入って原作漫画を読んだ人は、バトル描写の少なさと地味さにかなり驚く事になるでしょう。
それくらい如実な差があります。
その歴然とした差を最初に感じられたのは、断頭台のアウラ編におけるフェルンvsリュグナーとシュタルクvsリーニエの戦闘です。
原作では戦闘シーンであっても大ゴマを使う事はほぼなく、フェルンはリュグナーに対しゾルトラークを連発するだけの攻撃なのでどうしても地味になってしまいますが、アニメでは戦闘フィールドを大きく使い空中移動からの追跡弾、トリッキーな体勢でのゾルトラーク連射とかなり派手な動きで戦っています。
シュタルクとリーニエもアクションシーンが大幅に追加されており、派手に暴れ回ったバトルを様々な構図で描いており、見応え十分な戦いになっています。
このバトルシーンの強化によって、アニメ版『葬送のフリーレン』の評価は大幅に上昇しました。
特に海外人気はこのシーンを境に劇的に上がり、最終的には日本のアニメ史上トップクラスの評価にまでなっています。
それくらい期待を大きく超えるバトル描写だったのです。
アニメ版における戦闘シーンは、単に派手さを重視している訳ではなく、魔法の見せ方を原作とは明らかに変えています。
フリーレンが戦闘用の魔法よりも日常で使う馬鹿馬鹿しい魔法を好んでいる為、本作における魔法の見せ方は基本的に派手さや利便性ではなく「楽しさ」や「くだらなさ」を重視しています。
一方で魔法を殺しの道具と断定するヴィアベルや実際に殺す為に使用するユーベルもいて、その対比がテーマをより明確なものとしています。
その為、戦闘シーンにおける魔法はあえて派手にならないような見せ方をしている印象で、下手したら戦闘前の試し撃ちや実験の方が派手に見える事も少なくありません。
それに対し、アニメ版ではかなり派手に魔法の描写を行っています。
一級魔法使い試験編のフリーレン&フェルンvsフリーレン複製体に至っては、原作では使用していない謎の魔法をアニメで使用するなど演出の域を超えた描写が追加されており、最早原作とは完全に別物と言えるバトルになっています。
これに関してはキャラの特性や作風を加味した上での変更という訳ではなく、漫画とアニメの違い、すなわち媒体の違いがもたらした変化と言えるでしょう。
アニメの戦闘はストーリー上の特殊な理由がない限り派手さやエンタメ感が求められます。
そこにアニメの醍醐味を感じている人が圧倒的に多いからです。
幾ら葬送のフリーレンがバトルメインの作品ではないといっても、アニメ化する以上はアニメの流儀に従って表現するのが視聴者に対する誠意。
アニメ畑のスタッフ陣がそれを無視する訳にはいきません。
とはいえ原作改変とも捉えられるくらいの違いなので、原作ファンの中には受け入れ難いと感じる人もきっといるでしょう。
それでもアニメ版の戦闘シーンが多くのファンに受け入れられたのは、中途半端ではなく振り切ったからです。
前述したように、アニメ版のバトルは単に演出を派手にしただけでなく動きや構図を大きく変更し、更には原作に存在していない魔法の使用まで行い、徹底的に改変しています。
そこまでしてエンタメに振り切った事で、アニメ組からは絶大な支持を集め、原作組も原作とは別物と割り切れる潔さが生まれたのです。
他の部分においては原作の雰囲気を何処までも再現しようとこだわり、その分戦闘シーンだけは原作との乖離を覚悟でアニメらしさを追求する。
その割り切りが結果的に「叙情的で繊細な旅パート」と「ド派手で迫力ある戦闘パート」の二極化を生み、統一感こそ薄れているものの原作とは違った魅力を引き出す事に成功しました。
エンタメ重視の姿勢はバトルシーンだけでなく、オルデン家におけるダンスのシーンでも遺憾なく発揮されています。
原作ではフェルンとシュタルクのダンスシーンは僅か2コマ、それもアップではなく引きで描いているため他のペアに紛れ全く目立っていません。
それに対し、アニメでは1分以上を使ってかなりガッツリ描いています。
原作においては、このオルデン家のエピソードはあくまでオルデン卿の家庭事情を通してシュタルクを掘り下げる事が主題ですが、アニメにおいてはダンスを最大の見せ場に設定しているのです。
これも原作改変ではありますが、2人のダンスシーンをしっかり見届けたいというファンの声が圧倒的に多く、その需要に応えた結果、絶賛される回となりました。
要するにファンサービスの一環という事ですね。
アニメ化において原作に寄り添う姿勢は極めて重要ですが、原作をそっくりそのまま映像化するだけではアニメファンを満足させる事は出来ません。
その実例が、他でもない葬送のフリーレンなのです。