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Dec

【刀剣乱舞】燭台切光忠の魅力に迫る!ゲーム・アニメ・史実・舞台をまとめてみた!! #刀剣乱舞 #とうらぶ

キャラとの関係性

出展 : Amazon.co.jp

伊達組

【大倶利伽羅(おおくりから)】
伊達政宗が愛刀。燭台切に反比例して愛想が良くないが、燭台切が構ってくるため渋々付き合いを持っているといった様子。
実は動物が好きであるといった意外な一面などを理解している燭台切からすれば、手の焼ける息子目線であり「伽羅ちゃん」呼びだ。
アニメでも協調性のない大倶利伽羅を心配する燭台切が描かれている。

【太鼓鐘貞宗(たいこがねさだむね)】
長く伊達家に在った短刀。伊達政宗から派手好きでお洒落を尊ぶ性質を受け継いでいる。
燭台切が「貞ちゃんはこっちに来てる?太鼓鐘貞宗。通称貞ちゃんだよ」と審神者に問うのに加えて、太鼓鐘貞宗が「ここには色々刀が居るけど、みっちゃんは居るかい?燭台切光忠、通称みっちゃんだ!」と審神者に問うセリフも考えると二人の仲はかなりいいようだ
ちなみに一緒に畑仕事をする貞宗は無農薬野菜派、燭台切は有機野菜派と意見が分かれる。

【鶴丸国永(つるまるくになが)】
伊達家にあった太刀。軽妙で酔狂な性格でいつも驚きに飢えている。とにかく好奇心旺盛。何かびっくりすることをやらかそうとするため燭台切からは窘められる対象だ。
しかし燭台切が「鶴さん」と敬意を持って愛称を使っていることや、アニメで鶴丸に燭台切が相談事を持ちかけるシーンを見ると年長者として頼りにしている一面も見える。

九曜と竹雀のえにし組

【歌仙兼定(かせんかねさだ)】
「九曜と竹雀のえにし」はゲーム内でゆかりの刀剣でチームを組むと回想イベントだ。
もともと歌仙兼定のキャラ設定も風流を重んじる綺麗好きで、台所を守る者として燭台切とは気の合う仲であるというファンの認識だったが、この回想でより燭台切と歌仙の仲はファンに浸透した。
燭台切が「歌仙くん」と呼ぶことからそれなりの関係性が伺える。

【小夜左文字(さよさもんじ)】
「九曜と竹雀のえにし」のメンバーである小夜のことを燭台切は「小夜ちゃん」と呼んでいる。
歌仙と大倶利伽羅が言い争う中、なんとか二人を仲直りさせようと奮闘する小夜と燭台切のコンビはなんとも微笑ましい。
また、復讐に生きる小夜左文字に対して「斬るだけが刃物じゃない」と告げ「復讐がダメだとは言わないさ」と言いつつ 小夜の頭を撫でる燭台切にはお兄ちゃん気質の面倒見の良さがひしひしと感じられる。

【ゲーム回想】史実から読み取る伊達刀としての燭台切光忠

ここではゲーム回想『九曜と竹雀のえにし』から、伊達政宗の刀であった燭台切光忠が語る歴史背景を史実も交えて紹介したいと思う。(回想シーンは「九曜紋」と「竹雀紋」と称される細川家と伊達家に通ずるものたちが部隊にいなければならない。)

ゲーム回想「九曜と竹雀のえにし」協力・続

太鼓鐘貞宗:「俺の事、呼んだ?」
燭台切光忠:「確かに今、貞ちゃんいたらなと思ったよ!」
太鼓鐘貞宗:「だろー。俺、勘がいいんだよな」
小夜左文字:「伊達の刀剣って仲がいいと思っていたけど……単に燭台切さんが、うまくまとめているだけの気が……する」
太鼓鐘貞宗:「ん。なんか言った?」
小夜左文字:「なんでも、ないです」
燭台切光忠:「貞ちゃん、皆に優しくしようってこの前決めたでしょ」
太鼓鐘貞宗:「あー、はいはい。そういうのあったっけな。まあいいや、手伝うぜ。一緒に行こうぜ。うまいもの探し!」
燭台切光忠:「旬の食材を探してね。貞ちゃん」
小夜左文字:「ありがとう……」
太鼓鐘貞宗:「気にすんな。あったりまえだろ? 俺たち仲間なんだからさ」

この回想イベントでは細川家所縁の刀剣、歌仙兼定・小夜左文字と、伊達家所縁の刀剣、太鼓鐘貞宗・燭台切光忠・大俱利伽羅・鶴丸国永の計6振で部隊編成するのが好ましいのだが…

歌仙兼定と大倶利伽羅は性格の不一致と、大倶利伽羅の協調性の無さが相まって任務中に喧嘩をする。
そこで二人の仲を取り持つために暗躍することになるのが小夜と燭台切だ。
大倶利伽羅に対しては「一匹狼というよりはいじけた子犬」などと詰る歌仙だが、同じ家元の小夜のことは「お小夜」と呼び、小夜も歌仙のことを「うちの歌仙兼定」と呼ぶなど気心が知れている。
また、燭台切は言わずもがな、伊達由来組のまとめ役であれば天邪鬼な「伽羅ちゃん」をどうにかフォローしようと奮闘。
上記の会話は、そんな二人に太鼓鐘貞宗も加わって仲直りのための美味しい料理に向けた食材探しの回想である。

会話から読み取れるように、公式でも燭台切は「伊達のまとめ役」という認識であり、派手好きで明るい性格をしている太鼓鐘貞宗も、特に燭台切こと「みっちゃん」に懐いており上手に懐柔されているのがわかる。
織田組の絡みや、細川組との意外な接点を知りたい諸君は是非この6人メンバーでクリアするべきだろう。
また、今回の「九曜と竹雀のえにし」で細川家と伊達家に通ずる刀剣が必須であるのは、下記史実に基づいているからだ。

史実

時は延享4年(1747年)。ことの発端は肥後熊本藩第五代藩主・細川宗孝が旗本・板倉勝該に家紋の見間違えから「人違い殺害」をされることから始まった(細川家の「九曜」紋と板倉家の「九曜巴」紋はあまりにも似ており、板倉勝該は「細川宗孝」を家紋の見間違えから「自分を殺そうとしている板倉家の者」と勘違いを起こし誤って殺害)。

人違いで宗孝を殺された細川家は窮地に追いやられる。
故人:宗孝は当時31歳。まだ世継ぎもいない状態であれば細川家は世継ぎがおらずに家名を失うという危機に追いやられたのだ。しかしこの窮地を救ったのはたまたまそこに居合わせた陸奥仙台藩第六代藩主・伊達宗村。機転を利かせた宗村は「越中守殿(※宗孝)にはまだ息がある、早く屋敷に運んで手当てせよ」と細川の家臣に命じる(本当は死んでいることは明らかだったが時間を稼ぐために嘘をついた)。これに乗じて家臣たちは亡き宗孝を藩邸に運び込み、宗孝の弟・細川紀雄(のちの細川重賢)を末期養子として幕府に届け出る。そして翌日、宗孝は「介抱の甲斐なく死去」と報告することでお世継ぎ問題をことなきにしたのである。

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