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Oct
【結城友奈は勇者である】結城友奈が勇者である理由【ゆゆゆ解説・考察】
友奈と精霊の牛鬼の関係は?
『勇者の章』で友奈は神樹が満開のように咲き誇るのと同時に、サポートマスコットキャラの牛鬼によって身体を包まれて大満開しました。そもそも何故、『結城友奈の章』から『勇者の章』までに登場している精霊たちが、満開時の武装や技の発動に関与しているのでしょうか?
変身や神樹の力はスマホアプリを介して流れてくるため、牛鬼たち精霊はアンテナ的な役割を果たしているのではないかと考えていて、ここでいうアンテナとは送受信可能な双方向通信を想定しています。
牛鬼=国津神説
『勇者の章』で友奈解放のために消えた精霊と一緒に牛鬼が消えなかったのは、神樹が「人として生きる」と決めた友奈満開のために残したたためで、天の神を倒した後に友奈と一緒にいた牛鬼だけが消えるのが遅れていたのは、友奈が満開中だったからだと考えられます。
そして『結城友奈は勇者である』は日本の神話ベースの設定が多いことで知られています。神樹は天の神に対抗するために四国土着の神々の集合体となっていることから、天の神・バーテックスを『天津神(あまつかみ)』とするならば、牛鬼とは神樹の一端である『国津神 (くにつかみ)』なのかもしれません。
国津神 くにつかみ
古代伝承上の神。
記・紀によれば天津神に対する称。在地の神で,山野,河川などにすむ。国つ神,地祇ともかき,地祇は「ちぎ」ともよむ。
出典:コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusより
『結城友奈は勇者である』は、新世代の国生み神話なのか?
『大満開の章』では『楠芽吹は勇者である』のくめゆ組が、新たな神樹を植樹していることから、人類の生存区域を広げていこうとする防人としての戦いを繰り広げています。
『勇者の章』までの天の神との戦闘が勇者たちの戦いの歴史であるのならば、これからの『大満開の章』は人類(大赦)の復興の戦いとなるのかもしれません。
奇しくも四国の近くには、「イザナミ・イザナギ」の国生み神話が残る淡路島もありますね。日本の神話がモチーフの、うつ展開が続く物語の終着点は、意外と新たな世界を生み出す物語なのかもしれません。
結城友奈と高嶋友奈の関係を考察
『乃木若葉は勇者である』に登場する高嶋友奈が、結城友奈と姿形や必殺技などが似ていることから、転生した姿や同一視する説があります。
アプリゲームの『結城友奈は勇者である 花結いのきらめき』には友奈というキャラクターは3名登場しているので、各時代に勇者として刻まれた高嶋友奈の名前を娘に名付けることが慣習になっていたのではないかと考えられます。
女系の血統を受け継ぐことで名字は違うものの、高嶋友奈の子孫なのかもしれませんし、代々名を受け継ぐ友奈8世とかいても不思議ではないですね。結城友奈は武術を父から習ったという記述が、讃州中学勇者部電子広報に残っているので、高嶋友奈の武術を継いでいるとしたらロマンがあると考えられます。
勇者と魔法少女の違いを考察
『結城友奈は勇者である』は魔法少女アニメとは一線を画す設定から、それらとは異なる展開をしています。うつ展開や魔法少女アニメのテンプレートから、『結城友奈は勇者である』は『魔法少女まどかマギカ』の亜種のようなくくりをされることがあるのが残念。
しかし、勇者というものを前面に出した『結城友奈は勇者である』は、変身ヒロインとして魔法少女アニメとは似て非なる作品として制作されており全くの別ジャンルです。
いわゆるバトル系魔法少女アニメのテンプレートでは、少女たちは魔法を与えてくれる不思議な生物と契約して、自身の願望や正義のために戦う存在として描かれます。
変身ヒロインと非・日常系
『結城友奈は勇者である』が特異なのはテンプレートを踏襲しつつ「勇気とは何か」というテーマに挑んだ作品で、『勇者の章』でそのテーマは見事に完結しています。
それは自己犠牲による勝利を目指すのが勇者ではなく、全てを救おうと全力を尽くす『勇者部』の戦いで、日本的な勇者の価値観を覆す進化した新たな世代の物語でした。
50年近い歴史のある変身ヒーローのテーマが形を変えて受け継がれ、「変身ヒロイン+非・日常系」というジャンルが若年層に受け入れられているのは興味深いところです。やはりタイトル通り結城友奈は勇者であって魔法少女ではない魅力的な存在なのでしょう。
まとめ
この記事では結城友奈が勇者である理由について考察してきました。『勇者の章』ラストまでの友奈は、いざというときに自分を犠牲にするという選択肢を心のどこかに持った少女として描かれます。
友奈が表面上は明るく振る舞っているけれど、どこかで他人の顔色を伺っている弱さを垣間見せるところが可愛いですが、勇者としてはどこか欠けているところがありました。それを補う結城友奈が勇者である理由は『勇者の章』の結末で描かれた、勇者部六箇条の最後の文言にあると考えられます。
それは、他人の犠牲になることが勇者の仕事ではなく、自分すらも救って幸せになってこその勇者なのではないかと考えさせる内容でした。
未視聴の方は、ぜひ友奈が勇者である理由を見届けていただければと思います。
私も『乃木若葉は勇者である』がアニメ化されることを期待して、3期を楽しみたいものです。