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Sep
【コジコジ】絵本のようにメルヘンなのに大人の心に刺さる名台詞!哲学書「COJI-COJI」の魅力
はじめに
「COJI-COJI」(コジコジ)は、1994年に雑誌「きみとぼく」で連載がスタートし、2002年でいったん完結している漫画作品です。作者はさくらももこ先生です。
さくらももこ先生といえば真っ先に思い浮かぶのは「ちびまる子ちゃん」ですよね。時に切ない回もありますが、基本的にはほのぼのとしたとても柔らかい物語です。
ところが、この「COJI-COJI」はそれとは少し異なります。
全体的なイメージは、舞台も絵柄も「メルヘン」です。ですが、掲載雑誌が少女まんがではなかったからか、登場人物のセリフがどことなく大人っぽかったり哲学的だったりして、はっと考えさせられるのです。そのギャップが癖になり、つい何度も読んでしまうのです。
「COJI-COJI」はむしろ、大人にこそ読んでほしい作品の一つです。
今回の記事では、ぜひそういった魅力について紹介していきます。
引用:.prcm.jp
主人公コジコジとメルヘンの国
コジコジ(宇宙生命体)
(1巻 p.2)
主人公の名前は、コジコジです。
登場人物の紹介ページには「宇宙生命体」としか書いてありません。2等身ほどで丸い耳がついており、まるでサルやクマのこどものようです。愛らしい外見や率直なセリフのイメージでとても幼く見えますが、実際のところはわかりません。
それ以外にわかるのは、不死身で、勉強が苦手。空が飛べる、そしておまんじゅうがすきなことくらいです。
コジコジが暮らしているのは、メルヘンの国という場所です。自然が多く、建物はおもちゃのようにカラフルで可愛らしい形をしています。さくら先生独特の柔らかな筆致によって細部まで描きこまれ、いつまでも眺めていられるとても素敵な舞台です。
ファンタジックな舞台で交わされる、シビアなセリフ
引用:note.com
「COJI-COJI」は、愛らしい絵柄や舞台にまるでそぐわないシビアなセリフがたくさんあります。
その中でも、あまりにシビアで現実的で、メルヘンの国の物語だということを忘れてしまう会話を紹介します。
「次郎は 今も将来もずっと次郎なのさ」
(1巻 p.18)
「バカ言ってんじゃないよっ ずっと次郎じゃ困るんだよっ 次郎なんてさっさと捨ててミッキーでもスヌーピーでも何でもなって楽させとくれっ」
(1巻 p.19)
次郎君は、コジコジと最も近い友人です。面倒くさがりながらも、それなりにコジコジの面倒を見ています。
1巻の第1話でコジコジは職員室に呼び出されるのですが、次郎君は窓からそれをこっそり見守っています。その時コジコジは先生から「将来一体何になりたいんだ」と質問され、このように答えます。
「コジコジは生まれた時からずーっと 将来もコジコジはコジコジだよ」
(1巻 p.17)
引用:note.com
この言葉に、次郎君は「なんかガーンときちゃった…」と感動します。
そしてその晩、「立派になれなくていいのか」とうるさい母親に、自分の部屋でだらけながら「今も将来もずっと次郎」だからいいと言います。そして「ずっと次郎じゃ困るんだよっ」と激怒されるのです。
このままだからと自然体で話すコジコジと、「バカ言ってんじゃないよっ」と怒鳴られる次郎君。「ありのまま」であることが持つ二つの面を、第1話からユーモラスに描いてみせるさくら先生にはいつもながら驚かされます。
ちなみに、コジコジが呼び出される職員室もぎっしり背景が描かれており、見ごたえがあります。雑然としていたり、デスクで喫煙している先生が3人もいたりと、およそメルヘンのイメージからかけ離れているのです。そういうところにも思わずくすりと笑えますね。
「自分とはなに?」
「COJI-COJI」のセリフが大人にも響く理由の一つは、作品全体を通して「自分とは?」という問いが大きなテーマになっているからでもあります。
コジコジは、第1話からずっとこのメッセージをまっすぐ読者に伝えています。他の登場人物が「自分とは?」「何のために存在するのか?」と迷っているときも、揺らぐことなくありのままです。
コジコジは不死身の宇宙生命体です。
ですが、ほかの登場人物は違います。そのため、コジコジのようにシンプルでいることがなかなかできません。自分の属するグループの価値観に影響されて右往左往するのが普通です。顔のせいで毎年クリスマスに天使の仲間から笑い者にされる吾作君。同性に恋しているかもしれないと悩むハレハレ君。メルヘンの国に限らず、だれにでもある普遍的な悩みですよね。
3巻収録の第23話「やかん君 ケガをする」では、クラスメイトのやかん君が「自分とは?」という悩みにあたふたする姿を、とてもユーモラスかつシュールに描いています。
「ねえ やかん君て 一体 何?」
(3巻 p.98)
「やかん君」は、コジコジのクラスメイトです。
頭がやかんで胴体は人間です。普通のやかんと異なるのは、テンションが上がると勝手に沸騰するところです。
ある日コジコジは、どういうシステムで沸騰するのか知りたくてこのように質問します。ところが、「どういう存在なのか」を問われたように感じたやかん君は、真剣に悩んでしまいます。
いったんはメルヘンの国一番の物知りじいさんから「やかん人間」であると聞き、安心します。説明によると「顔がやかんで胴が人間(中略)火を使わずにお茶をわかせるのもやかん人間ならではのワザ」(3巻 p.103)のようです。ところがその後やかん君は頭をケガして、数日間修理のためにやかんを金物屋に預けなければなりません。
その間やかんの代わりとして渡されたものは、なんと「ザル」でした。やかん君は、頭がザルの姿で登校してきます。それを見たコジコジは、友人たちに質問します。
「あのさ やかん君は やかんじゃなくてもやかん人間なの? それとも違うの? 教えて」
(3巻 p.109)
「…それは彼がいちばん教えてほしいことだと思うな…」(p.110)
やかん君のよりどころは、やかんでした。ですが、頭がザルでもお茶をわかせなくてもやかん人間なのか。「自分とはなに?」があっさり揺らいで呆然とするやかん君の姿に、それを保ち続けることの難しさを感じます。
そしてあらためて、だからこそ「COJI-COJI」という物語の主人公はコジコジであり、この宇宙生命体が一貫して伝えてくれるメッセージの大切さに気づくのです。
まとめ
「COJI-COJI」は連載から約20年が経とうとしている作品ですが、絵もテーマもまったく古びることなく今でもたくさんの読者に愛されています。
今回の記事では、物語のテーマの一つとも言える「自分とはなに?」を中心に紹介しました。ですが、この作品にはまだまだたくさん、奥深くて豊かなテーマが存在しています。身近なテーマである憧れや恋愛から、劣等感に「クールとは」など、たった全4巻とは思えないほど充実しています。
また、まるで絵本のような扉絵や背景、そして世界観も、ぜひ堪能してみてください。イラストだけでなく、扉絵のデザインセンスも圧巻です。物語のどこを開いても宝石箱のような愛らしさと美しさが溢れていて、きっと心を打たれるはずです。