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Sep
【精霊幻想記】SAOと比較・考察!アニメでのリオ=キリト説はどこまで正しい?
「精霊幻想記」はなろう系異世界転生ファンタジーをアニメ化した作品で、2021年夏アニメとして放送され1期が終了しました。アニメ化された「精霊幻想記」の主人公リオのビジュアルが、「ソードアート・オンライン(以下SAO)」の主人公キリトとの共通点が多く、SNSや配信サイトのコメント欄からツッコミが入っている珍しい作品です。
「リオ=キリト」説を唱えるコメントやツイートが多く、それらはどこまで正しいのか、また、パクリ説を唱える人もいて現在どういう状況なのでしょうか。情報や状況を整理して「精霊幻想記」の「リオ=キリト」説やパクリ説について考えてみましょう。
精霊幻想記はSAOのパクリなのか
結論として全く別の作品で類似性はあるものの合同ではありません。この記事では「リオ=キリト」説やパクリ説に関する要素を確認するために、作品設定や演出などの類似点を比較することで、「精霊幻想記」について考察していきます。
比較検証に関しては事実を元にご紹介しますが、考察部分に関する内容はライターの個人的な一意見や所感としてご理解いただければ幸いです。視聴者各位の作品に関する意見が個々に違うものであることを否定するものではありません。
リオ=キリト説に関するツイート紹介
まずは視聴者からからどんな評価があるのかツイッターでの反応をご紹介してみましょう。
キリトに似ている
「精霊幻想記」と「SAO]は全くの別作品なのですが、リオに関して異世界転生キリトという言葉も出てくるのは、面白いところです。
SAOのパクリ説
SAOのパクリなのかはこの後の項で検証していきましょう。
リオ=キリト説の比較のポイント
「精霊幻想記」と「SAO」の類似点は具体的にどんなものがあるのでしょうか。比較すべき要素を3つにまとめてみました。
1)原作の比較
2)設定の比較
3)リオ=キリトなのか?
次項以降で精霊幻想記とSAOの違いを比較して、まとめていきます。
原作の比較
「精霊幻想記」と「SAO」は原作において類似性のある成り立ちをしていますが発表時の時代背景やネット環境の進化、ライトノベルジャンルの違いがあり全く違う成り立ちの作品であることが分かります。
Web小説から書籍化というビジネスモデルが出来たのがSAOを始めとした作品群です。
「精霊幻想記」は小説家になろうが登場して市場が成熟して、異世界転生がテンプレート化された時代に書かれたもので「SAO」とは「ジャンル・ユーザーのニーズ」に時代性による違いがあります。
精霊幻想記のあらまし
「精霊幻想記」は「小説家になろう」で2014年に連載が開始された異世界転生ファンタジーで、2015年にHJ文庫から書籍化、2021年8月現在で既刊20巻が発行されています。気になる著者は「北山結莉」さんで、シリーズ累計発行部数が160万部を突破している人気作品です。
2021年にアニメ化され原作のストックがある事から、アニメ2期の制作を待つファンも多いことでしょう。
SAOのあらまし
「SAO」は「川原礫」先生が「九里史生」名義で2002年よりウェブサイトにオンライン小説として発表されていたSF・MMORPGデスゲーム作品です。電撃文庫にて2009年より書籍として刊行され、累計発行部数は2600万部を超え既刊25巻が発売されました。
TVアニメは2012年から3期にわたって順次放送され人気を博し、劇場版2作品も好評で多くのファンがいます。
原作の違い・所感
「精霊幻想記」と「SAO」は作品の発表されたWeb小説の時代背景と発表方法とジャンルが違うので、比較してみると全く違っていてユーザーの見たいものに違いがあります。
アニメ作品にはビジュアルなどで似ている部分があるものの「精霊幻想記」が後発の作品であることから、単純に「SAO」のパクリとは言いにくいです。作品を面白いと支持する視聴者もいるので、紹介していきましょう。
パクリ説はジェネレーションギャップ?
パクリ説の原因は趣味で書かれた小説家になろう発の「精霊幻想記」が、アニメ化に当たりキャラクター造形などに関してSAOの「オマージュ」のような要素を持っている事ではないでしょうか。
「精霊幻想記」を支持する視聴者の人気の理由として、初回アニメ化された年がかけ離れていることから、「SAO」みたいなキャラクターのアニメが見たい層のニーズを捉えたとも考えられます。
「SAO」が現体験となったラノベ世代の原理主義の視聴者と、「精霊幻想記」のなろう世代で異世界テンプレが当たり前の視聴者では面白いと感じるポイントにジェネレーションギャップがあり、作品から受ける印象も違って見えることでしょう。次項で、設定の違いなどをまとめてみましょう。
コメント
主人公の声優が同じでキャラクターの見た目や森以降の装備も同じような黒いものになっている時点で激しくキリトをイメージしてキリトのような主人公を好む層に寄せまくっているのは明白でしょうね。
個人的にはSAOは1期に限っては結構楽しめた作品でしたが、それと比べるとこの作品は完全に下位互換・量産型といった印象なので、オマージュという大層な言葉を使う以前でただ消費されて忘れ去られる作品というのが正直な感想です。
というか・・・パクリやら何やらの定義がある訳ではないと仰っているようにこの記事も含めて全ては主観でしかないので、よほどの法的にアウトな言葉で誹謗中傷している訳でない限りはそれぞれの主観で言葉を発するのは自然な事だと思います。
ただ、近年のアニメ作品に多く見られる安易な寄せ方(売り方)を個人的には好ましく思えないので、好みの問題はあれど多くの人を納得させるだけの内容のある作品を作って、笑顔でオマージュだと楽しめるようにしてほしいと切に願っています。
少なくともこの作品に限っては近年のアニメ業界が自転車操業をしていく上で消費される一つの道具としての存在意義を自分は感じる事が出来ませんでした。