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Aug

【プラチナエンド】2クール24話でアニメ化!アニメオリジナルであの結末は変わるのか?

出典:Anime-platinumend.com

「プラチナエンド」は2015年よりジャンプSQ誌上で連載された「大場つぐみx小畑健」コンビの通算三作目となる大人気漫画でした。「DEATH NOTE」、「バクマン」に続き、10月開始予定の「プラチナエンド」もアニメ化されるため、このコンビの人気のほどをうかがい知ることが出来ます。

2021秋アニメとして放送予定のこの作品は、2クール24話で発表されることが公式サイトで明かされ、ファンの期待が膨らんでいます。原作の「プラチナエンド」は2021年2月に完結しましたが、その結末が賛否両論を呼び話題となりました。

この記事では「プラチナエンド」原作を振り返りながら、結末が物議をかもした原作と同じあり方で描かれるのかを考察します。原作のネタバレを含みますのでご注意ください。

「プラチナエンド」概要

「プラチナエンド」の原作は「大場つぐみx小畑健」コンビの大ヒット作、「DEATH NOTE」と真逆の設定で描かれていて、天使版デスノートと呼ばれる事もある作品です。ストーリーの概要は主人公が天使「ナッセ」から、新たな神の候補として選ばれてしまい、999日の間に13人の人間たちが能力を使って次の神を選ぶという話。

主人公の「架橋明日(かけはし・みらい)」は、「DEATH NOTE」主人公「夜神月(やがみ・らいと)」とは真逆のいい人属性の持ち主でした。「明日」に異能を授ける存在も「DEATH NOTE」の死神「リューク」に対して、「プラチナエンド」では天使「ナッセ」という念の入り様。

「幸せになりたい」と願う「明日」はその願望をかなえられるのでしょうか。

冒頭あらすじ

両親の死を原因として不幸の中にいた「明日」は、中学卒業を期に自殺するため高層ビルから飛び降りる。死の直前で「明日」を救ったのは特級天使の「ナッセ」だった。「明日」に生きる希望を与えるために、空を駆ける天使の翼と人に愛される為の天使の矢を与える「ナッセ」。

そして、少しだけ希望を得た「明日」は「ナッセ」から両親の死の真相を聞かされた。

出典:Anime-platinumend.com

架橋明日と能力

神の候補として選ばれるには不幸な人間である事が前提で、現在の神は配下の天使たちに命じて13人の候補を選出しました。架橋明日のプロフィールと能力をまとめてみましょう。

架橋明日プロフィール

声優:入野自由
年齢:15?(中学卒業時)
家庭環境:両親と7歳の時に死別。叔母に引取られ奴隷同然の人生を送ってきた。
性格:両親の影響で悪事や他人を傷つけることを嫌う性格。
備考:「明日」は貧困や不幸に苦しんでいたが、フツーの幸せを求めていて、神になる事に興味を持っていない。

出典:Anime-platinumend.com

ナッセの与えた能力

「明日」が「ナッセ」から得た能力は3つあり、13人の神候補はそれぞれ能力を使って争いを始めていきます。神候補たちが持つ3つの能力は次の能力です。神候補たちの持つ能力は、サポートの天使たちの階級に比例して保有できる数が決まり、階級が高い天使ほど多くの能力を神候補に与えられます。
・翼:高速移動ができる翼で、至近距離からの銃弾や矢による攻撃なども回避可能。
・赤の矢:当たった人間を恋の奴隷に変える文字通りのキューピッドの矢。人間を洗脳でき、都合よく操ることが出来る。
・白の矢:当たった人間を即死させられる天使の矢。本来は安楽死用の死神のような能力。

天使版デスノート

「プラチナエンド」は天使版デスノートと呼ばれることもあり、同一の作者コンビであることから一括りにされる評価を書評やレビューなどで目にします。しかし、本質的な違いがある作品です。設定が真逆なことから、そこばかりに目が行きがちですが、似て非なる作品ではないでしょうか?

「DEATH NOTE」と「プラチナエンド」には設定以外に、購読読者層という明確な違いがあります。かつて「DEATH NOTE」が描かれた週刊少年ジャンプから、ジャンプSQという購読年齢層が高めの媒体で発表された「プラチナエンド」。

そのせいか作品のメッセージ性やテーマ性が強くなり、現実社会の問題が如実に描かれています。媒体以外での「DEATH NOTE」と「プラチナエンド」の違いを次項で比較してみましょう。

DEATH NOTEと比較

真逆な設定と購読年齢層以外での「DEATH NOTE」と「プラチナエンド」の違いとは何なのでしょうか?私たちが現実で直面する「貧困・自死・生きる希望・幸せとは何か・神とは」という問い。ここを漫画というエンタメとして描いている点が、「DEATH NOTE」と「プラチナエンド」の全く違う点です。

説教臭くなりがちなこれらのテーマを、当初は能力を得て争うだけだった神候補たちが神の選定を、最終的に話し合いで解決することも少年バトル漫画ではないからこそ出来た事。

また、現実に解決できない問題を、神となった元人間が世界そのものを崩壊させてしまうことで、全て無かったことにしてしまう結末の部分も「DEATH NOTE」と違う点です。

異能バトルとカタストロフィ

「プラチナエンド」は異能バトル漫画としての展開があったストーリーが、カタストロフィ(悲劇的な結末)で終わったために打ち切りエンドと言われることがある作品。しかし、作品としてのテーマを描き切っているので「プラチナエンド」は打ち切り作品とは言い難いです。

「明日」が望んだのは、何でも自由にできる神の座ではなく、フツーの幸せな生活で愛情のある家庭というごく平凡なものでした。最終話で「明日」は神の座を他の神候補に譲り、たった数年の幸せな生活を享受出来たことを感謝して、愛するものと一緒に消えていける幸せを受け入れます。

神以上の存在達が最後に語った「命を燃やし命を輝かせられる」ものを描き切った「プラチナエンド」は、カタストロフィを扱った漫画やアニメの中で、重いテーマから逃げずに作者なりの結論を出して完結を迎えた稀有な作品です。

カタストロフィエンドの名作

漫画やアニメでは、諸般の事情による打ち切りにより「バッドエンド」や「俺たちの戦いはこれからだエンド」で終わる作品が多いのも事実です。しかし、「プラチナエンド」以前にも、「バッドエンド」を超えた「カタストロフィエンド」を迎えた名作と呼ばれる作品もありますが、具体的にはどんな作品があるのでしょうか?

中でも永井豪先生の漫画版「デビルマン」の最終巻での「カタストロフィ」は読者に衝撃と感動を与えています。「あの作品みたい」という賛辞の言葉は好きではありませんが、私は「プラチナエンド」最終回の読後に「デビルマン」を読み終えたときの興奮や、感情を揺り動かされた時のことを思い出しました。

壮大な神話「デビルマン」は誰も救われない物語だったこともあり、そのスケールに圧倒された半面で、読んだ当時は心の隅にモヤモヤした感情が生まれていました。「プラチナエンド」はがつかの間のささやかな幸せを得たことで、少なくとも「明日」は救われたので、希少性が高い終わり方だなと感じます。

タイトルがなぜプラチナなのか

「プラチナエンド」のタイトルは何故「プラチナ」なのでしょうか?私はこれまでの考察から「明日」が一話冒頭での自殺未遂から、結末までに「かけがえのない希少なもの」を手に入れたので「プラチナエンド」なのではないかと考えました。

「明日」の未来は、世界に溢れるありふれた「死」という現実で終わっていたはずでした。しかし、物語を通じて渇望していた、ささやかだけれど普通の幸せを「命を燃やし命を輝かせられる」ほど生きた、「明日」にとっては希少な日常なのでしょう。

「金」よりも価値は劣る「白金(プラチナ)」は、「金」よりも希少性が高いことで知られています。「プラチナエンド」はドン底にいた「明日」が幸せに満ちた希少な未来を得て終わる物語。そんな考えが浮かんできます。

カタストロフィエンドであり、「プラチナエンド」でもあるこの物語の結末は、安易に死を選択できる私達にどんなことを語りかけるのでしょう。「プラチナエンド」のアニメ最終回が、希少な終わり方を迎えられるのか楽しみですね。

出典:Amazon.co.jp

まとめ

「プラチナエンド」を少年バトル漫画という視点で見た場合は、ハッキリ言って結末は駄作という評価が相当すると思います。週刊少年ジャンプで少年バトル漫画の打ち切りの結末を、散々刷り込まれてきた読者にしてみれば、打ち切りエンドと捉えられるのもムリが無いことでしょう。

しかし、「プラチナエンド」が掲載されているジャンプSQの読者層は少年だけではなく大人に向けている作品も多い雑誌です。この作品は「貧困・自死・生きる希望・幸せとは何か・神とは」という問題を日々抱えている若い世代や大人にこそ向けたものなのではないかと考えられます。

人間ドラマの群像劇をバトル漫画の形式をとって、エンターテインメントとして成立させている作品としてみた場合は評価がまったく変わる作品。「プラチナエンド」の結末は文字通りプラチナ(希少金属)で、アニメ化により妙な忖度などをして変える必要のない作品なのではないでしょうか。

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