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Jan

【のんのんびより】3期決定!大人気癒し系日常アニメのここがすごい!日常の本質とは?検証しました

出典 : Amazon.co.jp

1期放送から6年が経った『のんのんびより』。さらに2期、映画版と人気の衰えを見せないこの作品は、ついに3期の製作が発表されて久しいですね。

そんな『のんのんびより』の魅力については、もはや至るところで語り尽くされてます。そこには、「田舎の良さ」「キャラクターの魅力」が存分に記されていて、そのほとんどの文章において、大方同意できる上、深く頷けるファンは多いでしょう。
しかし、これだけ語り尽くされている『のんのんびより』の魅力について、まだもう少しだけ掘り下げる点があるのではないでしょうか。

特にこの記事では、「田舎の良さ」というものが、作品の中でどのように機能しているかという点について掘り下げて行きたいと思います!

「もしかして、田舎に住んでるのん」は、最初の引きであり、結論である。

このセリフは、1期の1話、OPが流れるよりも前に宮内れんげが放つセリフです。
作品の最初に出てくる言葉として、非常に適切な言葉ではないでしょうか。
『のんのんびより』は、小学1年生であるれんげでさえ気が付いてしまうくらいの田舎な環境で、「田舎に住む」ということがどういうことなのかということを見せつけてきます。

『のんのんびより』に登場する田舎は、人が少なく、遊ぶ場所も限られるため、イベントが発生しにくいということが最初のこのシーンで明示されているのです。牛が通学路を横切るくらいですから。
そんな環境だからこそ、「日常は静かで、何も起こらないこともある」ということを強調して描けるのでしょう。

他の日常アニメとの違い

出典 : Amazon.co.jp

一般的な日常アニメは、日常の中で起きたささいなことをイベントとしてとらえることで、日常の何気なさを描いていますが、『のんのんびより』が突出している点は、日常における「何も起こらなかった」側の描写です。
日常におけるイベントごとばかりではなく、日常の「何も起こらない」方をもしっかりと描いているのが、『のんのんびより』の特徴であり、魅力なのです!

具体例を出してみましょう。

たとえば、「けいおん!」の魅力の1つとして、楽屋でのトークがあります。軽音楽部でバンドを組んでいるという、テーマとして十分すぎるくらい大きな要素があるにも関わらず、その実態はほとんど「毎日のお茶会」でした。練習している描写がないのにも関わらず全員楽器ができるというのは、もはや問題にはなりません。なぜならば、軽音楽部のみんなで楽しく遊んだり話したりセッションする日々そのものが、「けいおん!」だからです。
一見、特別なことが起きていないかのようでありながら、キャラクター達の日々こそをイベント化し、日常の「何か起こった」側を描いています。これは、一般的な日常系の特徴でしょう。事実、『のんのんびより』でも、田植えをしたりスイカ割りをするなど、イベント自体はよくあります。

しかしながら、『のんのんびより』では、キャラ達がいつでも集まれるような場所は学校くらいしかありません
もちろん、誰かの家に行って遊ぶということは可能ですが、毎日のようにできるわけではありませんよね。

では、彼女たちは、いつも何をしているのでしょうか?

1人でいることの多さ

彼女たちは、遊ぶ予定がない時は割とをしています。
そのせいか、当作品においては、登場人物が1人でいるシーンが少なくありません。
なぜ、1人でいることが多いのでしょうか。

外界と遮断されている

「田舎」という環境が最大限に活きるのは、それが「外の世界と遮断されている」という場合です。

まず、携帯電話事情に注目してみましょう。
この作品において、携帯電話を持っているのは、高校生以上に限られています。

たとえば、宮内ひかげは東京の高校に通っているため、実家との連絡に必要と判断されたのでしょうか。東京にはたくさんの人がいて、たくさんのスポットがあるため、友達と待ち合わせるにも必需品なのでしょう。ひかげが携帯電話を所持していることには疑問がありません。

また、富士宮このみは、詳細は描かれていないものの、携帯電話を所持しております。
理由はわかりませんが、高校3年生という年齢や、高校までの距離、あるいは、吹奏楽部に所属しているため、練習や遠征など、家にいない時間が多いからかもしれません。

一方、主要メンバー4人については、誰も携帯電話を持っていません。
いまどき、スマホを持っている小・中学生はたくさんいることでしょう。
しかしながら、人通りがほとんどない田舎という環境で、特筆した課外活動をしているわけでもなければ、生活範囲も限られている小・中学生が携帯電話を持っていないということは、現実に即しているかどうかは別として、想像に容易いことですね。

携帯電話を持っていないということは、誰かと常に接続できるわけではないということです。もちろん、持っているからと言って、必ずしも常に誰かと話し続けるというようなものではありませんし、そもそもの前提として、のんのんびよりのキャラたちが暮らしている町では、電波がほとんど通っていないかのような描写もありました。

人通りのない田舎道で、通信する方法は自宅の固定電話のみ
となると、家族以外と話をする際のハードルがやや高くなります。
事実、主要キャラ4人は遊ぶ約束をする際、学校帰りのバスで済ませていることがあります。
携帯電話があれば「あとでメールするね」が可能ですし、電話として使えば、自分の手元から相手の手元に直通なわけですから、コミュニケーションを取るハードルが非常に低くなります。

そういったものを持っていない彼女たちは、暇を抱えがちです。
したがって、1人で居ざるを得ない状況が生まれます。

そうすると、必然的に彼女達は、「必ずしも誰かと何かをしているというわけではない」という状況を当然のように受け入れることができます。

行く場所がこれといってない

携帯電話がないことで、暇が生まれるということがわかりました。
では、暇な彼女たちはどうするのでしょうか。

町に暮らしている人が携帯電話を持っていない場合、暇になったらどうするのでしょうか。
「外に出る」という選択肢がありますよね。近所の喫茶店に出かけたり、本屋に寄ってみたり、電車を乗り継ぎ、買い物にでも出かけることもできます。

一方、彼女たちが住んでいるのは人の少ない田舎です。
小・中学生が集まれるようなファミレスやファミレスもちろん、喫茶店すら、おそらくは存在しないようです(あったら行っているはずなので)。もっというと、公園すら存在していないかもしれませんね。
あるのは駄菓子屋ぐらいでしょう。
そのため、よく駄菓子屋が出てきますが、「駄菓子屋に行く」は彼女たちにとって「遊ぶ」という約束をして行くものであって、いつも決まって集まるような場所ではなさそうです。

さて、携帯電話という接続手段がなく、行く場所もないという彼女たちは、暇を抱えた時どうするのでしょうか。

やっぱり暇。

行くあてもなければ話し相手もいない彼女たちは、です。
暇な人間が何をしているかというと、やっぱり1人でいるしかないのです。
1人でいるということは、特に話をすることもありませんよね。
そうなんです、これこそが “何も起こらない” 側の日常なのです。

『のんのんびより』を観てみると、全話を通して誰かが誰かと何かをしています。
それはいさゆる「日常系」としてよくあるように、イベントとして描かれており、他の日常系作品においても、よく描かれています。

加えて、『のんのんびより』では、「1人でいるしかないから、黙っている」という、私たちが日々過ごしているものと本質的に近い日常がしっかり描かれているということです。

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