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Oct
【チェンソーマン】第2部がつまらないって本当? 面白くないと言われる理由を徹底検証
(画像引用 : Amazon)
圧倒的な人気を誇る『チェンソーマン』ですが、第二部に入って以降ある時期を境に否定的意見が目立つようになりました。
果たして本当に「つまらない」という意見に正当性があるのか、またその理由が何なのかを徹底検証します!
主人公がハッキリしない?
(画像引用 : Amazon)
第二部になって最もわかりやすく変わった部分は、主人公がデンジから三鷹アサ&ヨルに変わった事です。
ただ、完全に主人公が切り替わったかというと必ずしもそうとは言えません。
第二部最初のエピソードは、終始アサの視点で物語が描かれていました。
クラスに全く馴染めずにいた彼女が正義の悪魔に殺害され、その際に心ならずも戦争の悪魔と契約した事で脳の半分を支配される状態となり、彼女の中には二人の人格が同居します。
便宜上、アサの中の戦争の悪魔はヨルと名乗る事となり、ヨルは「自分達と同じ高校に通うチェンソーマンと戦争をして倒す」と目的を掲げ、身体を人質にしてアサを思い通りに行動させようとします。
しかしアサはヨルには従わず、例え悪魔に殺されそうになっても自分の思う通りに生きようとする気概を見せ、思惑通りにいかないヨルは苦悩しながらもアサへの理解を深めていく……という流れでストーリーは進行していきます。
ここまでは完全にアサとヨルが主人公として描かれていました。
ですがその後、デンジが登場してからは流れが変わります。
基本的にはアサの視点で描かれるものの、時折デンジ視点で描かれるストーリーもあり、次第に後者の割合が増えW主人公の様相を呈してきたのです。
第一部から本作を追ってきたファンからすれば当然デンジへの思い入れが圧倒的に強く、デンジ視点で描かれるエピソードの方に気持ちが向くのは自然な事。
結果として「主人公アサ」の陰は薄くなり、ファンの認識としてもどっちが主人公なのかハッキリしない状態になってしまいました。
第二部が当初から群像劇として描かれていれば混乱はなかったかもしれませんが、当初は明確にアサとヨルが主人公として描かれているだけに、「ブレている」「視点が取っ散らかっている」という感想を抱く人もいるようです。
最大の問題は、アサが「邪魔」だと思われてしまうポジションにいる事です。
アサ視点で描かれる場合、当然デンジは主人公ポジションではなくなる為、出番も限られてきます。
つまり、第一部に思い入れの強い人ほどアサが主人公として描かれる事に不満を抱きやすい構図になってしまっています。
この事は、テレビアニメにおいても証明されています。
2022年秋に放送された『チェンソーマン』のアニメは、写実的な雰囲気になるような演出を取り入れ、原作とは大分雰囲気の異なる作風になっていました。
その結果、原作ファンから凄まじいバッシングを受け、それが原因かどうかは不明ですが中々2期が決まらない状況になっています。
原作に思い入れが強い人ほど、そこから外れれば反発を強めるのは当然の事。
新たな主人公として描かれたアサが一部のファンに煙たがられるのもまた、仕方のない事と言わざるを得ません。
それでも一貫してアサが主人公として描かれれば割り切れもしますが、中途半端にデンジ視点のエピソードもある為、余計に「アサ要らない」という感情が芽生えやすくなっているのかもしれません。
新キャラが魅力に欠ける?
(画像引用 : Amazon)
アサとヨルにも関連する事ですが、第二部になってから登場した新キャラも当然、第一部と大きく異なる要素の一つです。
ならば第二部がつまらないと批評されるのは、新キャラが原因という見方も出来ます。
最も槍玉にあげられているのは、やはりアサです。
ダントツで出番が多いので当然ですが、彼女に対しては「主役の器じゃない」「『チェンソーマン』の主人公としては暗すぎる」など、かなり辛辣な意見も見受けられます。
ただ、アサに関してはある程度嫌われる事を想定して作られたキャラという見方も出来ます。
冒頭からモノローグで「死ね」などの悪辣な言葉を吐き、要領が悪くコミュ障で空気が読めず、不満タラタラで文句ばかりの割に失敗が多く、自分が悪く言われると露骨に嫌悪感を示し間違いを認めない。
まさに「お子ちゃま」のメンタリティで描かれているキャラであって、明らかに大勢に好かれる内面的造形ではありません。
何故アサをこのようなタイプのキャラにしたのかは、作者である藤本タツキ先生にしかわからない事。
第一部で既に確固たる人気を獲得した上で始まった第二部なので、好感度を気にする必要がなく御自身の好むタイプのキャラを担ぎ上げたのかもしれませんし、ストーリーとの兼ね合いでこのような性格になったのかもしれません。
ここからは推察ですが、アサはデンジと表裏一体のキャラとして作られたのだと思われます。
デンジも精神面はお子ちゃまですが、彼は明るい性格で本能に忠実かつ享楽的。
あまり深く物事を考えず学がないため知識こそありませんが、要領が良く何事に対してもスカッとしています。
真面目過ぎて色々考え過ぎてしまい、学があるだけにマウントを取りたがり、頑固で融通が利かないアサとはまさに正反対です。
アサはデンジと共通する点が多く、逆に正反対の面も多い表裏一体の存在。
これは物語の構造、或いは設定面において必要な内面的造形の可能性が高く、一定数の読者に嫌われるのは承知の上で生まれたキャラの可能性大です。
とはいえ、アサがこのような性格である事に相応の意図があるのは、アサが万人にとって魅力的なキャラではない事を正当化する理由にはなりません。
デンジも人を選ぶキャラではありますが、アサはそれ以上に人を選ぶキャラで、そういうタイプを主人公にするのは作品として極めてハイリスクです。
「第二部はつまらない」という評価の少なくとも一部は、アサに対して魅力を感じないという理由が占めていると思われ、そこには一定の正当性が認められます。
アサ&ヨルに限らず第二部のキャラは現状、第一部で人気を博したメインキャラ達の穴を殆ど埋められていません。
“早パイ”の愛称で愛されたアキ、クズ可愛いパワー、美しくも恐ろしいマキマがデンジを囲み、そこに姫野、コベニ、岸辺、天使の悪魔などが加わっていった第一部はまさに鉄壁の布陣。
この壁を越えるのは容易ではなく、どうしても第二部に物足りなさを感じてしまうのは「魅力的なキャラの減少」が原因の一つと言っても良いでしょう。
デンジの成長が悪い方に?
(画像引用 : Amazon)
アサについてネガティブな話ばかりをしましたが、彼女が嫌われてばかりという訳では勿論ありません。
アサが好きというファンも相当数いて、彼女目当てに第二部から読み始めたという新規ファンも少なからず見受けられます。
決して彼女ばかりが戦犯という訳ではないのです。
『チェンソーマン』という作品の象徴は、やはり第一部主人公のデンジと、彼を翻弄し続けていたマキマの2人。
デンジの明るさと脳天気な性格が本作に途方もない勢いを与え、マキマの恐怖心を煽るミステリアスな存在感がシリアスな空気を作り、そのコントラストによって非凡な作品になったと言っても過言ではないくらい、この両者の影響力は大きいものでした。
マキマは第二部には登場せず、ナユタが彼女と同じ役割を担う事も現状では考え難く、ヨルもマキマとは全くタイプが違う為、マキマの穴は埋まらないままになっています。
よって、どうしてもデンジの方に重責が集中してしまいます。
そのデンジは完全な主役でこそなくなったものの、準主役とでも言うべきポジションで活躍を続けています……が、第一部ほどの勢いを作品に与えられていない点は否めません。
第一部で壮絶な体験をした事で、デンジは肉体的にも精神的にも成長しました。
それはファンの目から見ても顕著で、特に精神的な成長は随所で見受けられます。
その度に、これまでデンジを見守って来たファンは目を細めて彼の進歩を喜んでいる事でしょう。
しかし、そのデンジの成長が彼から勢いを奪ったのも事実。
未熟で荒削りだけど本能に従って未知の敵と戦っていた頃のデンジと比べると、第二部の彼からは余裕が感じられ、それはカッコ良さでもあるものの破天荒さという点においては薄れています。
戦闘よりも日常会話でその余裕は顕著で、アサに対しての態度は成長したと思う反面「デンジじゃないみたいだ」と感じるファンも少なからずいるようです。
また、純粋な主役ではなくなった事で敵をスカッと倒すシーンが余りないのも不満点として挙げられています。
デンジにはヒーローであって欲しいというファンは多いと思われ、その点一つとっても第二部のデンジを物足りなく感じる理由になっているようです。
ただし「デンジは変わっていない」と感じさせるシーンも多数あります。
あれだけの経験をしたにも拘わらず戦う理由は相変わらず性欲なところや、自己顕示欲に忠実でチェンソーマンである事を世間にバレたいと願う様は、まさにデンジ。
彼が変わったのは事実ですが、第二部では彼の立ち位置そのものも大きく変わっており、それによって新たな魅力が引き出される事へも期待できます。
刺激が足りない?
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第二部の不評の理由として挙げられている中に、「第一部ほどの勢いがなくなった」という意見を割と多く見かけます。
これは間違いなく事実でしょう。
第二部の序盤は意図的に第一部の展開をなぞっていて、「主人公の死」→「悪魔との契約」→「主要キャラとの出会い」→「vsコウモリの悪魔」→「vs永遠の悪魔」→「vsウェポンズ(チェンソーマン教会)」という大まかな流れは同じ。
特に第一部におけるウェポンズ戦では、「マキマ死亡」「姫野死亡」「その他の仲間大勢死亡」「マキマ復活、謎の力発動」「コベニ本領発揮」と怒涛の展開で、ここで明らかに『チェンソーマン』は軌道に乗りました。
この頃の勢いと意外性に興奮し、ファンになったという人はかなり多いと思われます。
それに対し、第二部はどうでしょうか。
意外性という点においては十分に散見されます。
開幕時に早速トレンド入りを果たした「田中脊髄剣」をはじめ、吉田ヒロフミやクァンシなど第一部のキャラの再登場、偽チェンソーマンの登場、水族館槍(アクアリウムスピア)、デンジ脊髄剣、ノストラダムスの大予言……など、挙げたらキリがないくらい意外な展開や要素を次々と盛り込んでいます。
その度にX(旧Twitter)などでは盛り上がり、ほぼ毎回のように更新の際には複数のワードがトレンド入りし、それは第二部開始から1年以上が経過した現在も変わりません。
しかし、第一部にはあって第二部にないものがあります。
それは刺激です。
第一部の怒涛の展開は、単なる意外性だけでなく主要キャラの死亡という刺激的な場面が数多く描かれました。
永遠の悪魔戦までは色々ありつつもネームドキャラはしっかり生き残っていただけに、その後あまりに呆気なく彼らの命が散っていく展開は読者・視聴者に戸惑いと戦慄と与え、それが刺激となって本作へ強い関心を持たせる起爆剤となったのです。
第二部の展開は意外性こそあるものの、脳と心をシェイクするような展開は今の所ありません。
しかも第一部は僅か半年強でウェポンズ戦の決着まで行ったのに対し、第二部は1年以上かけています。
この進行スピードも、勢いの差となっているのは明白です。
「つまらない」「面白くない」という言葉を使う人の多くは、第一部と同じような刺激を欲している筈。
主要キャラが死んだり、絶望的なくらいに強いキャラが出て来たり、予想もしないキャラが裏切ったり、好きなキャラが無双したり……そのような興奮やカタルシスを覚える展開がないと、物足りなさを感じてしまうのはある意味当然です。
「前にあった長所がない」という状態は、それだけで評価を落としてしまう大きな理由になってしまいます。
刺激に飢えているファンが、その寂しさから強い言葉で批判してしまうのは、やむを得ない事でしょう。
路線が変わった?
(画像引用 : Amazon)
第二部は第一部の頃と作風が異なる、という意見もあるようです。
これは様々な要因が重なった結果だと思われます。
まず、前述したように主人公を変更した事。
主人公の性格や境遇が変われば、作品全体の傾向も変化するのは必然です。
デンジは自分なりに思い悩んだり葛藤したりする事もありますが、基本的には脳天気で短絡的に行動する事の方が多く、そのあるがままのリアルタイムアクションが作品全体に勢いとスピード感を与えました。
一方アサの場合、自分の中にヨルという別人格が現れたようなものなので、脳を共有する者同士の対話、すなわち「内面の掛け合い」が主軸になり、作風自体も内向的になっていきました。
また、本作を巡る環境が第一部の頃から激変したという事情もあります。
藤本先生は前作『ファイアパンチ』以前から多数の短編作品を生み出していますが、初期から一貫して描かれているのは『歪みの肯定』。
世間や一般常識から外れた人物や行動、激しい思い込みやリビドーといったものに対し、毅然とイエスを突きつける作品を数多く生み出しています。
ただ表現方法はキャリアを重ねていく内に変化し続け、より叙情的に、より隠喩的になっています。
その結果、考察や深読みを好むファンが増え、「藤本タツキ」はブランド化するまでに至りました。
そんな状況下で描かれている第二部は、書き手も読み手も作品に対するアプローチが大きく変化しています。
キャラの内面を会話劇で描くシーンが増え、その分アクションシーンは減少。
一方でファンの方は、第一部の勢いある『チェンソーマン』を欲する人もいれば、『ルックバック』のようなドラマと繊細さを兼ね備えた作風を望むファンもいて、逆に考察要素や深読みするファンに不快感を示す人も増え、かなり細分化された印象です。
その絶対数の増加と細分化の結果、第二部に対して「自分の理想ドンピシャとは少し違う」というズレを感じるファンがかなり増え、その中の一部が酷評するという状況になってしまったのだと思われます。
第二部の作風は第一部と比較し、路線が変わったのは確かです。
ただ、作品に対する見方やハードルの高さなど読者側の変化もかなりあり、それも「つまらない」評の一因と言えるでしょう。
「掲載誌が週刊少年ジャンプからWeb媒体のジャンプ+に移籍して毎週は読めなくなったから、イマイチ盛り上がりきれなくなった」という読者もいるくらい、状況の変化は作品評価に大きく影響します。