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31

Aug

映画『岬のマヨイガ』紹介&感想【ネタバレあり】

ここからは個人的な感想を含め作品を振り返っていきたいと思います。

よかったところ

食事シーンがとても良かったです!
岬のマヨイガに来た初日に、庭の草刈りをするのですが、そこで取れた、うるいやフキを天ぷらにして食べるシーンがあって、ユイは「こんな草食べるの?」と最初は戸惑っていましたが、一口食べて「うまい。」と言います。
このシーンが凄く良かった。
成り行きでサワさんについてきたものの、まだまだ警戒心が解けないユイの心が少し開いたシーンであると感じました。

気になったところ

劇中で“アガメ”は町の人々の負の感情を餌に、どんどんと大きく成長していく化け物として描かれていました。
被災直後ですから、多くの負の感情が蔓延し、人の体積の比ではない巨大な大蛇に成長します。

そこで、ひよりの笛とユイの破魔の矢で“アガメ”“を倒すことになるのですが、
ひよりは祭りの準備の為に笛の練習をしていました。
アガメが人の負の感情を喰らって大きくなっているのであれば、
被災した町の住民1人1人が前を向き、負の感情を取り払うことでアガメが弱体化するという演出の方が良かったのではないかと感じました。
人々に活気をもたらす道具として、祭りという非常に有効な下地もありました。

個人の超パワーに頼らず、町の住民が自らの力で現状に向き合うといった描写が観たかったです。
それとひよりは、笛の練習をする描写が多くあったので、ひよりが対アガメに笛を用いる流れは自然だったのですが、ユイの方は、配達のついでに1度練習に立ち寄った描写があるだけで、いきなりアガメを倒す決定打となる弓を使いだすのは唐突な印象を受けました。

それと、先述した通り、物語の最後も、マヨイガに来る以前の人間関係を清算出来ていないので、モヤっとする部分がありました。

総評

出典 映画.COM

本作が伝えたかったテーマに私なりの焦点を当てるならば

【居場所の守り方】です。

本作の大きな主題として、
居場所を無くした主人公たちが、迷いながらも自分の居場所を見つけ、そこを守り抜くために戦う
物語だったように思います。

東日本大震災では多くの方が大切な人を無くし、家族、住む家、仕事など自分の居場所となる場所を無くしたのだと思います。
そして2021年では、コロナ禍によってまた、職を失い、職を失わなかった人たちもリモートワークが推進され、外のコミュニティに顔を出せない、気軽に飲みに行く場所も制限され、色々な形で人が集まる居場所が無くなっているのだと思います。

作中でアガメは悪者として描かれていますが、その根っこにある思いもまた
“自分の居場所を取り戻したい”というものでした。
しかし、アガメは敗れました。
根っこにある思いは同じはずなのに、何故自分の居場所を守れなかったのかというと、それは町の者を追い出して、自分たちで独占しようとしたからではないでしょうか。
これを現代に当てはめると、自分の保身のために、他者を蹴落とす。
自分さえよければ良いという考えのもと、他者への思いやりを欠く行動をとる。

主人公たち、狐崎の住民たち、ふしぎっとたち、そしてアガメ。
それぞれにとって狐崎という場所は大切な場所でした。
自分にとって大切な場所は、自分以外の誰かにとっても、また大切な場所であるということ。これを忘れてはいけないと思いました。

人は欲深く、大きな成功をしたい、他者を蹴り落してでも自分が出世したい!と大きな幸福を目指します。
しかし、コロナ禍で、頑張っても報われない、どうして私だけが!私何も悪い事してないのにっ!
といった、やりきれない思いが沢山生まれたと思います。
その思いをぶつける相手がいれば、思いがとどまりはしないかもしれない。
でも、震災だ。コロナだ。天災だ。
恨む相手がどこにもいない。
そんな思いが、いまここに、たまりたまって渦巻いている。
そしてアガメがそうだったように、その思いを喰らい続けると、とても恐ろしいものになってしまう。
しかし、その気持ちというものは誰しもが持つものです。
人は聖人君子ではありません。
キワさんもそう言っています。

そうならない為に、目の前にある小さな幸せに目を向けよう。
今の自分に出来ることを精一杯やろう。
他人から奪うな。与えて、分け合おう。
その気持ちを持ち続けていれば、迷い迷った先にきっと、あなたのマヨイガがある。
震災後を生き、コロナ禍を生きるこのタイミングで鑑賞することができて、本当に良かったです。

いまある自分の居場所を大切にしよう

そんな風に思える作品でした。

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