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映画ドラえもんの最高傑作はどれ? 50周年を記念して徹底検証!

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出典 : Amazon.co.jp

2020年に40作目となる『のび太の新恐竜』を公開する映画ドラえもんの誕生までの歩み、映画公開以降の反響や各作品の評価および成績、そしてファン人気についてまとめました!
その上で、果たして最高傑作はどの作品なのかを徹底検証します!

映画ドラえもん誕生まで

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藤子・F・不二雄先生が1969年に連載を開始した『ドラえもん』は当初、「よいこ」「幼稚園」「小学一~六年生」など小学館の刊行する複数の学習雑誌で掲載されていました。
当時、これらの学習雑誌は各誌が数十万部の発行部数を誇っており、それらの雑誌で掲載され続けたドラえもんは子供たちの間で一定の人気を獲得します。
そして1973年には、日本テレビ系列のゴールデンタイムでテレビアニメ化されることになりました。

しかし、実は当時ドラえもんの単行本はまだ1冊も発売されておらず(1974年7月31日に第1巻を発売)、漫画を読めるのは上記の掲載誌のみ
いくら複数の雑誌に載っているとはいえ、単行本の出ていない漫画をアニメ化するのは当時でもかなり異例のことだったようで、その背景には『オバケのQ太郎』のヒットがあったようです。

このオバQは藤子不二雄名義で初となるヒット作で、1960年代に放送されたアニメは最高視聴率36.7%を記録。
1971~72年には続編の『新オバケのQ太郎』が日本テレビ系列で放送され高視聴率をマークしており、ドラえもんはこの新オバQの後釜として放送されることになったと思われます。

ただ、オバQと比べると当時のドラえもんはまだまだ知名度不足
裏番組の中に高視聴率でかつ子供向けのアニメ『マジンガーZ』があったこともあり、平均視聴率は6.6%と低迷し、一度も10%を越えることなく半年で放送終了となりました。

今でこそ2クールの放送というのは珍しくありませんが、当時ゴールデンタイムのアニメは好評であれば数年続くのが通例で、半年での終了は実質的な打ち切り
ただし、この件に関しては視聴率低迷だけが原因ではなく、当時アニメーション制作を行っていた日本テレビ動画の社長が突然失踪してしまい、日本テレビ動画が解散に追い込まれたことが最大の原因と言われています。

いずれにせよ、この日テレ版ドラえもんは完全に失敗に終わり、当時は「アニメが終わったら原作も畳む」という慣例があったためか、1974年2月には最終回のエピソードとして「さようなら、ドラえもん」が掲載されました。
それでもF先生はドラえもんをやめたくないという思いが強かったようで、他の新連載作品も同時に描くという形で筋を通し、連載の継続を決行
翌月には「帰ってきたドラえもん」が掲載され、その後に発売されたコミックス第1巻が大ヒットしたため、無事続けられることになりました。

コミックスの売上は好調を維持し、7巻が発売された1975年5月には発行部数が100万部を突破します。
10巻発売時の1976年3月には200万部、13巻発売時の1977年3月には500万部に到達しました。

この好調を受け、コミックス未収録のドラえもんの話をまとめて読んでもらえる方法を模索した結果、1977年4月に月刊コロコロコミックが創刊されます。
全盛時は150万部を売り上げ、現在も日本を代表する児童向け雑誌として愛され続けているコロコロですが、元々はドラえもんのために発案された雑誌だったのです。

コロコロによる読者層の拡大もあって、16巻発売時の1978年12月には1000万部を突破。
巻平均で見ると、7巻の時点では約14万部、10巻時は20万部、13巻時は38万部、そして16巻時は63万部
アニメで失敗した作品がこのような飛躍的な上昇を見せるのは、恐らく空前絶後の出来事だったと思われます。

そして1979年、勢いに乗ったドラえもんはテレビ朝日系で再アニメ化されることになりました。
大山のぶ代さんなどがキャストに名を連ね、シンエイ動画が制作を担当することになったこのテレ朝版ドラえもんは、放送開始直後は15%前後とまずまずの視聴率でしたが、次第に20%を越えるようになり、1983年2月には最高視聴率となる31.2%を記録
その後も長期にわたり常時20%以上をマークする国民的アニメへと成長を遂げました。

このテレビアニメ化に並行して、映画製作も決定します。
コロコロコミック1980年1月号より、以前に短編として発表されていたエピソード「のび太の恐竜」を映画用に大幅加筆した「大長編ドラえもん のび太の恐竜」の連載を開始。
この長編を映像化した映画第1作目『のび太の恐竜』が1980年3月15日に公開され人気を博したことで、以降映画ドラえもんは毎年映画を公開されるようになりました。

40年にわたる映画ドラえもんの歩み

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当時のドラえもん人気は凄まじく、『のび太の恐竜』も大ヒットとなりました。
興行収入は15億6000万と、現在の水準からすると大ヒットとまでは言えない数字に見えますが、これは映画の鑑賞料金が今よりも安かったため。
観客動員数は320万人を記録しており、現在なら興収40億円以上に該当します。

『恐竜』がここまでヒットした背景には、単に当時のドラえもん人気が高かっただけでなく、その内容が高く評価されたことも挙げられます。

初期のドラえもんはギャグ漫画として描かれていましたが、徐々にテーマ性の強いエピソードが増えていき、10巻に収録された短編版『のび太の恐竜』も、その傾向を色濃く反映した内容です。
更にそこからスケールを壮大にした映画版『のび太の恐竜』は、ドラマチックな冒険を描くのと同時に、ひみつ道具に頼れない状態で仲間と一緒に旅をすることで育まれる友情、恐竜のピー助を通して描かれる自然と人間との共存の難しさ、道徳心やモラルなどの様々なテーマを内包しており、児童向けでありながら大人も楽しめる感動大作になっています。
その内容が口コミで広がり、家族連れで映画館に行く観客がかなり多くいたようです。

また、その後のお約束でもある「のび太が少し勇ましくなる」「ジャイアンが頼れる男になる」などの特徴も、この1作目で既に確立しています。
そういう意味でも非常に完成度の高い映画となり、その勢いは次作の『のび太の宇宙開拓史』にも現れ、この2作目は年間2位の興行収入を記録する大ヒットとなりました。

この『宇宙開拓史』も高い評価を得ていましたが、一方で原作最大の見せ場である「のび太とギラーミンの1対1での決闘」変更されており、物議を醸しました。
これが原因という訳ではありませんが、3作目『のび太の大魔境』および4作目『のび太の海底鬼岩城』動員数は減少傾向になります。
特に『海底鬼岩城』は現在でも評価の高い名作ですが、動員数は映画ドラえもんの最低記録となる210万人まで低下してしまい、年間ランキングで10位以内にも入れませんでした。

そこで、5作目『のび太の魔界大冒険』では人気回復を図るべく、5周年記念超大作と銘打ちシリーズ初となるゲストヒロインを採用。
当時人気アイドルだった小泉今日子さんが主題歌を担当し、来場者プレゼントを配布するなど、現代にも通じる大幅なテコ入れが行われた結果、動員数は330万人まで回復しました。
内容も非常に高く評価され、『魔界大冒険』は映画ドラを代表する作品の1つとなっています。

以降、主題歌「少年期」が現在も名曲と語り継がれている『のび太の宇宙小戦争(リトルスターウォーズ)』、ストーリーの評価は全作品中屈指の『のび太と鉄人兵団』、珍しくスネ夫にスポットが当たった『のび太と竜の騎士』、F先生が体調不良で入院したことで原作漫画が描かれなかった『のび太のパラレル西遊記』……と、安定して年間TOP10に入るヒットを量産します。
そして、1989年に公開された10周年記念作品『のび太の日本誕生』はこれまで以上に力の入った作品となり、動員数は過去最多となる420万人を記録しました。

この後、1990年代に突入しても映画ドラは毎年公開され続けていきます。
以前より更に社会性が強いテーマを扱い、ストーリーを難解にせずメッセージ性を強めるという難題にチャレンジしており、動員数はなだらかに減少していきますが、年間ランキングでは常にTOP5に入り、日本を代表するシリーズ映画として高い需要をキープし続けました。

1996年公開の17作目『のび太と銀河超特急(エクスプレス)』は久々に前作を上回り、310万人を動員。
まだまだ根強い人気があると証明しましたが……次作『のび太のねじ巻き都市(シティー)冒険記』の執筆中、F先生が他界してしまいます。

生みの親を失ったドラえもんですが、その後も映画は継続されていきます。
原作の短編をもとに長編を制作したり、完全オリジナルストーリーで制作したり、様々なアプローチと創意工夫によって毎年制作されていきましたが、動員数および興行収入は伸び悩み、海外映画の人気もあって年間上位に食い込むことは難しくなりました。

この時期はテレビシリーズの視聴率も以前ほどの水準を維持できなくなっており、また『名探偵コナン』『ポケットモンスター』『クレヨンしんちゃん』『ONE PIECE』といった子供向けのアニメが多数定着していたこともあって、作品の内容というよりは時代の流れによって自然に需要が細分化されていたと思われます。
制作スタッフおよびキャスト陣も高齢化が進み、「これからドラえもんはどうなっていくのか」という不安がファンの間でも広がっていました。

そんな中、ドラえもんは大きなターニングポイントを迎えます。
2005年3月までの放送をもって声優陣やスタッフを一新し、第1期を終了し第2期にバトンタッチすることが発表されました。

映画も2004年公開の『のび太のワンニャン時空伝』で一旦終了し、2006年より新体制で制作・公開する運びとなったのです。
40年を誇る映画ドラの歴史の中で、公開されなかった年はこの時の2005年が唯一です。

新体制になって最初の作品は、第1作をリメイクした『のび太の恐竜2006』
その後は初期映画のリメイクと新作をほぼ交互に公開する形をとり、2005年を除いて2019年までに39作品の映画ドラがほぼ毎年作られていきました。

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