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Jan

【映像研には手を出すな】第1話は「いちご牛乳回!?」 キーワードは「説得力!」その魅力に迫りました!

出典 : Amazon.co.jp

話題のマンガ『映像研には手を出すな』を、「ピンポン 〜The Animation〜」の湯浅監督が手がけた、2020年初頭の注目作!
この作品の魅力は膨大な情報量と、熱量を活かしきる熱量、そして計算された物語の展開にありました!

・アニメを観るためのアニメ
・「ありえないことが説得力を持ってあるように見える」
・興奮を「これでもか」と表現する
・第1話は「いちご牛乳回」

具体的に検証していきましょう。

アニメを観るためのアニメ

『映像研には手を出すな』は、「アニメを扱っていくアニメ」であることが1話の時点で提示されています。主人公の浅草みどりは、小さい頃に観たアニメに感化されて以来、自分の中にある世界を具現化していくかのように、背景画や設定画を描くことに熱中していきます。

そのため、高校入学時、アニメ研究会の試写会見学に訪れた時点で、同級生の金森がうんざりしてしまうほどの「アニメうんちく」を語っています。ここで、みどりは視聴者の大多数が知らないような、アニメの表現技法の話を展開していましたね。

「ありえないことが説得力を持ってあるように見える」と発するみどりはの口ぶりは、試写会中に隣で語られた金森がうんざりしてしまうのも納得できるほどの熱量でした。
しかし、この時点ではまだ、みどりの語った内容に重要な意味はなく、「みどりはアニメに詳しい、 というより重度のオタクである」ということを表現しているにすぎません。

事実、原作のマンガにおいては、みどりがうんちくを語るシーンは1コマに収められています。そこでは、150字程度の文字数を1コマに詰め込むという表現が施されており、まさに「熱量だけで語り出すオタク」の様相が描かれているのです。

実は、みどりが語っているアニメ表現の話題は、原作とアニメで異なっています。

原作では、試写されている映像が何の作品かという点には触れられていないため、みどりが語っている内容は具体的ではありません。

一方、アニメにおいてみどりが語っている内容は、劇中で試写されている「残され島コナン」の映像に沿っています。実際に動くアニメーションと同時に、みどりの解説が展開されているため、視聴者にとっても、アニメのうんちくが知れる貴重なシーンと言えるかもしれません。
もちろん、原作と同様、みどりの「うっとうしいほどの熱量」を描写する意図も含まれています。アニメにおいて、金森が「これはどの辺が面白いんすか」と尋ねてから、「なるほどもういいです」と止めるまで、みどりによるうんちく語りは、なんと1分間(!)もありました。
原作における「みどりの熱量を1コマに詰め込むことで示す」という表現とは異なる方法で、実際のアニメーションを流しながらヒートアップしているみどりの熱量を描写しているのがこのシーンなのです。

原作では、みどりのオタクぶりを表していたにすぎないコマを、「せっかくアニメなのだから」と言わんばかりに増幅させ、アニメにしかできない「アニメを見るためのアニメ」という表現を行なったのがこのシーンなのです。

「ありえないことが説得力を持ってあるように見える」

みどりが語ったアニメのうんちくは、一見すると熱量の表現に過ぎないのですが、次のシーンへ行くと、その語られたうんちくが応用されているのです。

使用人に追われている水崎ツバメを救い出すシーンを見てみましょう。

舞台上のセットにはからくりが仕掛けられていました。
まず、3人が通り抜けた扉は回転し、追いかけてきた使用人は行く手を塞がれ、顔をぶつけます。
この、いかにもなコント仕掛けは、いわゆる「鉄板」の表現といったところでしょう。その後、掛け軸の裏から飛び出すところも、お芝居や映像作品、アニメーション作品においてはよくある仕掛けです。動きとしてわかりやすく、テンポも良いですね。

アニメという動きのある作品だからこそできる表現が盛り込まれているわけですが、重要なのはここからです。

セットの階段を駆け上がった3人を見つけると、使用人は「そこかぁ!」と叫びます。その声に驚き、追い詰められた3人は焦りの表情を見せるものの、みどりがセットの紐を順番に下ろし、からくり仕掛けによって使用人を捲くことに成功するのですが、ここがいかにもアニメ的な表現になっているのです。

みどりが1つ目の紐を引くと、使用人の立っている足元が開き、落とし穴が発生します。この仕掛けは一旦、使用人に回避されています。その直後、使用人が階段を駆け上って来ます。慌てたみどりが2つ目の紐を引くと、今度はセットの大きな背景幕が降りてきます。
本来であればこの時、使用人は、自分の足元さえ確保できれば背景幕を無視し、階段を駆け上がってしまえば良かったのでしょう。現実ではそうしていたはずです。
しかしながら、創作物であるアニメをいかに表現するかという点で、紐を引いたことで降りてきた背景幕を、全員が見つめてしまいます。
その様子を、引いたカメラ視点から視聴者に見せています。
次の展開に進むため、3回目の紐を引くフリとしたのでしょう。「ハズレ」の紐を引き、視点が舞台全体まで引いたことで、次の紐への期待値を一気に上げていきました。

1, 2本目の紐でフリを行ない、期待値を高めたところで、最後にもう1本の紐をみどりが引くと、階段が滑り台に変化し、使用人が滑っていくという「3段オチ」が見事に完成しました。

「3段オチ」が使われる際は、当然、3つ目の演出がもっともダイナミックになるのが一般でしょう。
このシーンでは、1つ目の紐で使用人が落ちていくオチを作り出し、2つ目の紐で使用人が階段から滑り落ちる条件を作り、3つ目の紐で実行する。こうすることで、わかりやすく、動きのあるアニメーションが作られていたのです。

このシーンにおいて「使用人が階段から滑り落ちていく」映像は、少し前に流れた「残され島のコナン」の映像の中で、主人公らしきキャラが、使用人と同じような角度で滑り落ちて行っている様子と重ねたようにも見受けられます。「残され島のコナン」における該当シーンの最中、みどりは「ありえないことが説得力を持ってあるように見える」と放っていますが、使用人を捲くシーンにおいても、現実的にあり得ないようなことを、アニメーションの演出として説得力があるように描いています。

これこそが、アニメを観るアニメならではの表現ではないでしょうか。
アニメの表現技法をキャラに語らせた直後に、キャラ自身が同じ表現を実演してくれるかのようで、『映像研には手を出すな』における重要な魅力といえるでしょう。

実は、原作において、みどり達が使用人を捲くシーンは1コマで終わっています。みどりがツバメを背負って逃げる。そこでおしまいです。

アニメ研究会の試写映像も、使用人を捲く仕掛けも、アニメオリジナルであり、アニメにしかできない表現を盛り込むために、追加したシーンだったのです。

興奮を「これでもか」と表現する

出典 : Amazon.co.jp

1話の後半、みどりとツバメがアニメ話に花を咲かせ、これから一緒にアニメを作っていくんだという興奮を共有しているシーン。興奮という目に見えないものを、アニメーションを通じて描写しています。

まず、原作と同じ点を整理していきましょう。

みどりは背景、ツバメはキャラクターと、お互いに描いたイラストを見せ合います。そして、2人の絵を重ね合わせることで、さらにアイデアを出し合い、新たな世界を協力して作り上げていきます。ついに、トンボ型の飛行ポッドが完成しました。
その興奮がどれほどのものかを描写するために、実際に飛行ポッドに乗り込んで、遠くへと飛び立つという表現が行われました。

原作では、飛行ポッドの完成図が見開きで1ページ、3人で乗り込み、飛び立っていく表現が2ページ、さらに、「とんでもなく壮大なものを作り上げられるのではないか」という興奮を描写するための、新しい世界設定のようなイラストが見開きで1ページで表現されています。

マンガであれば、これだけでも十分すぎるくらい興奮が伝わってきますよね。

一方、アニメではどうなっているでしょうか。

まず、原作と同様に飛行ポッドの完成図が映されます。この後も同様に飛行ポッドに乗り込むのですが、原作とは大きく異なるのは、その長さにありました。

飛行ポッドが完成してから、再生時間にして3分10秒もの間、彼女たちは自らの作りあげた創作世界の中を飛び回るのです。その様は完全にアドベンチャー。「冒険作品だったっけ?」とさえ思ってしまうほどです。また、アニメ本編中では、原作から活かした緻密な背景が当然ながら描かれていましたが、彼女達が飛び回っている創作世界では、背景がラフ画になっています。彼女達のアニメ制作がまだまだ未熟であるということが描かれていると考えられます。発展途上の彼女達が、まだまだ詰めが甘いスキルでもって、思い思いの興奮だけで創作世界を飛び回っているのです。

原作では、「世界を創作していく興奮」が数ページで描かれており、それでも十分すぎるくらい彼女達の熱量が伝わってきましたが、アニメではここをさらに膨大に、かつ丁寧に作り込み、アニメ制作という彼女達の物語が始まっていくワクワク感を描いていたのです。

一体、このシーンは本編にどれだけ関わっているのでしょうか。
おそらく、実際にみどり達がトンボ型飛行ポッドに乗り込むことはないでしょう。

しかしながら、アニメーションとして彼女達の気持ちを描くために、本編とは関係がないであろう描写を3分以上にも渡って流すというのは、『映像研には手を出すな』においてそれだけ、アニメに対する彼女達の熱量が重要であるということでしょう。その表現を惜しまないことこそが、この作品における大きな魅力であり、まさにアニメを観るためのアニメならではの演出といえるでしょう。

ちなみに、このシーンの結びは「すごい画(え)が見えた気がしんただけど」というセリフと共に終わっていくのですが、彼女たちが感じた興奮は、私たち視聴者が目にしたものとは比ではない、およそアニメですら描き足りないくらいの壮大な世界だったのかもしれません。

第1話は「いちご牛乳回」

第1話において、実は「いちご牛乳」が物語を展開させていたのはお気づきでしょうか。
なお、原作では、いちご牛乳ではなく「飲み物」となっていましたが、ここではアニメに沿って、いちご牛乳とします。

このいちご牛乳、元々は、ツバメが使用人を撒こうとして頼んだものです。これはツバメの「いちご牛乳頼んで撒こうとして」のセリフから窺えます。特におかしい話ではありません。納得ができてしまうシチュエーションです。
追いかけ回されたツバメは、ようやく逃げ切ったと安心するや否や、目の前に現れた使用人からいちご牛乳を手渡されます。ここで、ツバメは使用人に「捕まった」ことがわかります。
しかし、捕まったにも関わらず、パックにちゃっかりストローを刺しているのは面白いですね。
さて、そのいちご牛乳が回り回って、1話のラストシーンにまで繋がって行きます。

順を追ってみましょう。

みどりと金森の登場です。登場の仕方も原作とは異なるのですが、この点については省きます。アニメオリジナルのシーンを描くために、設定の変更が必要だったと踏んで問題ないでしょう。
さて、使用人を撒きましょう。
みどりは、ツバメを背負って舞台上を逃げ回ります。この時点でいちご牛乳は、ツバメの制服をベットベトに汚しているのがわかります。というか、本来であれば背負ったみどりのリュックや制服も相当に汚れているはずなのですが、そこには一切触れられてませんし、別段、問題にもなりません。

それはさておき、この後、物語が進むためには、みどりの秘密基地である音曲浴場の茶室へと行かなければなりません。物語としての課題は「みどりとツバメを違和感なくアニメ会談させること」ですから。

しかしながら、みどりがツバメを秘密基地へ誘うことは難しいでしょう。
そもそもみどりは、人付き合いが苦手です。また、ツバメを追いかけ舞台上で対面した際には、あたふたと挙動を乱しながら「自転車に乗り遅れちまってさー。間もなく2時ですしさー。」と、謎の文言を放っています。
もし、みどりがツバメを秘密基地に連れて行けるとすれば、使用人から逃げ回った際のように、無理やり背負って連れて行くほかなかったでしょう。

というより、みどりはこの後、ツバメを連れ回している状況について「これ以上首を突っ込むことはないじゃろーて」と発言していることから、そもそも、みどりにはツバメを秘密基地へ連れて行くという発想すらなかったのではないかと考えられます。

したがって、みどりが主体となって物語を動かすのはやや難しいかもしれません。

そこで金森です。

金森はその後、「お姫様を助けたら次はお宝ですよ」「水崎氏がアニメの話してるの聞いてたでしょう」というセリフを発していることから、最初から2人にアニメを制作させるということまで考えた上で、みどりの秘密基地へツバメを連れ込むことにしたのでしょう。

金のニオイを嗅ぎとる、計算高い金森にとって、ツバメを誘うことは難しくありませんでした。「立ち話もなんなんで、服でも洗いに行きましょう」。これだけで十分でした。自然に物語が展開していきます。

ランドリーへ到着すると、ひとまずツバメの制服を洗濯機にかけました。この状況、「逃げられない」と書くと恐ろしいですが、制服を洗濯している間、少なくともツバメが建物内から出て行くということは考えにくいです(結果、制服を忘れて帰りますが、それについては後ほど触れます)。
こうして、ツバメと話をするための状況は整いました。というより、金森によって「整えられた」と言ってもいいのかもしれません。
まるでミステリー作品ですね…!
外に出られない状況を作り出し、みどりとツバメに話をさせる。そして、2人にアニメを作らせる。すべてが金森の狙い通りであれば、なんと計算高いのでしょうか…!

使用人を捲くためにツバメが頼んだいちご牛乳が、撒ききれなかった使用人から渡される = ツバメが捕まったことで3人は出会い、一緒に逃げることで制服を汚し、その制服が故にみどりの秘密基地まで同行。3人はアニメを作ることになるが、あまりの熱中ぶりに、3人をここまで導いた「いちご牛乳で汚れた制服」さえ忘れてしまった。

第1話は、いちご牛乳によって展開されたといっても良いのではないでしょうか。

ここから3人は大興奮の中、時間も忘れてアニメ制作の話に没頭するわけですが、日も暮れた頃、ふと我に返り、アニメーターの番組を観ようと、慌てて茶室を飛び出します。

アニメ制作の話で熱中した後に、アニメ制作の話を観るために急いで帰る。
どれだけアニメというものに熱中しているのかということが伝わってくるシーンですね。
3人は、「100メートル1秒」「ビリは奢る」など、いかにも高校生らしい言葉を交わしながら、駅へと駆けて行きました。これだけでも十分、「アニメ制作に熱中していく」青春の様相が描かれています。

しかし、まだ1つ舞台装置が残っていました。
洗っていた制服です。誰もいなくなったランドリーで、洗濯終了の合図が鳴り続けています。青春物語として見事なまでの余韻です。
何かに夢中になっていることを表すには、その分だけ他の何かを忘れてしまっている描写によって表現することが可能です。

今回で言えば、時間を忘れて話し込んでしまったことだけでも十分に、それだけ熱中している様子が伝わります。にも関わらず、ランドリーに来るために必要であった「汚れた制服」という導線を、「洗ったことすら忘れて飛び出して行く」という描写によって伏線に仕立て上げ、回収することで、いかに彼女たちがアニメ制作の話に熱中していたかを描いていたのです!

まとめ

みどりが「ありえないことが説得力を持ってあるように見える」と放ったように、現実的ではないことでも、表現を尽くすことでリアルに近づく。あるいは、リアル以上の世界へと連れて行ってくれる。そんな「アニメ」の魅力を教えてくれるのが『映像研には手を出すな』でした!

そして一方では、現実よりもパワーのある凄まじい表現に、違和感が生まれないよう緻密に織り込まれた物語の展開が、この作品の大きな魅力でもありました。

みどり達が作る「最強の世界」が、壮大なアドベンチャーになることを期待しましょう!

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